「失われつつある日本人の心を、料理を通して伝えていきたい」。日本料理一筋を貫き続けている西野さんは語ります。平成5年に念願の店を持ち、京料理の伝統の技を基本に、独自の「京遊膳」を提供。京の伝統野菜や活き締めの天然物の魚など、素材の味を生かすにふさわしいものだけを厳選し、四季折々の味覚の醍醐味が堪能できる一品に仕上げ、食通たちを唸らせています。料理の一つ一つに日本の美を表現しているのです。
西野さんが料理人になろうと思ったのは、小学生の頃。両親が共働きで、小学1年の時から、食事はほとんど自分で作っていたといいます。スーパーを経営していた家だったため、業務用キッチンと食材には事欠かない恵まれた環境でした。玉子料理から始まって、クッキーやケーキなども作るようになり、中学高校時代には家にある材料で創作料理や手作りソースなどを作るまでになっていました。「料理をするのが楽しくて楽しくてしかたなかったですね。料理人になることは自分の中で当たり前のことで、周りもそれを認めていました」。大阪の辻調理専門学校に進み、そこで出会った先生から和食が向いていると言われ、和食の道に進むことを決意。卒業後は、幸いにも宮中の宴料理を受け継ぐ有職京料理の老舗、京都西陣の「魚新」で修業できることになり、その後、東京の料亭「柳橋 いな垣」で副料理長を務めました。その間、首相の祝賀会や横綱の襲名披露など、大舞台での料理を担当し、腕に磨きをかけていきました。「修業時代は京料理の真髄を叩き込まれるとともに、世の中の広さを教えられ、貴重な社会勉強ができました」と。28歳で故郷の茨城県ひたちなか市に戻り、念願の店を開きました。東京の銀座に店を持ってみないかという話もあったそうですが、「生まれ育った土地に、食の文化という種をまいてみたい。“茨城”を背負いたいみたいな郷愁の気持ちが根底にあったのかもしれません」。豊富な食材に恵まれている茨城。素材の味を大切にと、食材にほとんど手を加えずに提供する店も多いけれど、食材に手を加え、その持ち味をさらに美味しくすることが職人の技量とセンスではないかと西野さんは考えます。
日本の受け継がれている文化を料理に反映させたいと、有名店の食べ歩きや美術館巡り、茶道、食の勉強会など、日々精進する努力も怠りません。「座右の銘の“洗心自信”を忘れることなく、これからも謙虚な気持ちで取り組みたい」と。
15周年を迎えた2008年4月に店をリニューアル。京都「唐長」の唐紙、人間国宝の手によってつくられた引き手など、店の随所に日本の伝統の美を取り入れています。優雅な膳と、“はんなり”とした温かいもてなしで、これからも訪れる人たちの心に日本の良さを気づかせてくれることでしょう。
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