映画看板職人は、今や全国でも珍しいという稀有な存在。この道50年の大下さんの長い経験で磨き抜かれた技術は、芸術の域に達していると高い評価を得ています。大下さんの工房には、大好きな女優のひとりというオードリ・ヘップバーンをはじめアラン・ドロン、ジョニー・デップ、高倉健、田中邦衛、寺尾聡など往年のスターたちを描いた作品が所狭しと並んでいます。大きなもので、縦2.7メートル、横5メートル。名俳優たちの表情を生き生きと描いたすばらしいタッチで、見るものに訴えかけてくるような圧倒的な迫力があります。
大まかな手順は、まずポスターをプロジェクターから看板に投射し、拡大したり縮小したりしながら、えんぴつで下書きをすることから始まります。その後すぐにアクリル絵の具で着色していきます。「顔の表情を決める最初の15分が勝負。映画看板は似ていなければ意味がない」と大下さん。乾きやすい性質を持つネオカラーで描くため、油絵のように何回も混ぜてダメなら別の色で、ということが許されない“瞬間が勝負”の世界なのです。中でも肌の色は、なかなかイメージ通りの色が出せないという難しさがあるようです。ほんのりとした柔らかさと甘さを表現するため、「若草色系のグリーンをポイントに、色の組み合わせを工夫します」。
大下さんは青森県出身。子どもの頃から絵を描くことが大好きで、数々のコンクールに入賞。当時は小松崎茂氏のような挿絵画家に憧れていたといいます。16歳から看板を描き始め、19歳のとき縁あって水戸を訪れ、東映の直営館専属絵師になり、26歳で独立。最盛期には水戸市内の10館ほどの映画館の看板を手掛けました。映画の上映日程の期日までに終わらせるため、徹夜で仕事をこなす日々も多かったといいます。50年を振り返り、「今まで一度も仕事に穴を開けず、責任を果たせたことが自信になりました」と。映画看板の魅力は、たくさんの人が見てくれること。「水戸駅前でも一日3万人くらいは見てくれていると思う。一般の絵では、こんなに多くの人の目に触れられることはないですからね」。6年前、心臓の大きな手術を受けましたが、持ち前の体力と気力で退院の翌日から仕事に復帰。現在は映画館数も減り、イベントのディスプレイやパネルなどの仕事が中心。それでも映画の絵看板からスタートした本業に誇りを持って、取り組んでいます。「やってみたいことはまだまだある。体が動く限り描き続けたい」と、穏やかな笑顔で大下さんはそう語ってくれました。
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