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第一話〜第十九話はゆたり出版の「かさまのうつわ」に再編集し収録されています。「かさまのうつわ」はネット通販、書店、販売協力店でお買い求めできます。詳しくは本とゆたりをご覧ください。


[かさまのうつわ] 記事数:19

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第九回 酒井敦志之さん

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 笠間の若手陶芸家の中で、土の力強さと味わいを表現し、重厚感あふれる作風で注目されている作家が酒井敦志之(さかいとしゆき)さんです。酒井さんは陶芸家のお父さまをもち、生まれた時から土と親しむ環境で育ちました。





 「初めて粘土に触ったのは記憶にないくらい小さい時だったと思います。親に陶芸家になれと言われたことはないけれど、家業の手伝いとして陶芸に関わることはずっとやってきました」。中学生のときから斧を振るって薪窯用の薪作りをしたり、窯詰めの手伝いをしたり。
 「バスケ部だったんですが、バッシュ(バスケットシューズ)がきつくなったから買ってほしいというと、じゃあ窯焚きを手伝え、というふうに。でも、ろくろには触らなかったんです。器づくりは自分にとって敷居が高かった。やり始めたらちゃんとやらなくてはいけなくなるという気がして」
 窯焚きの手伝いなどしながら手びねりで照明器具やお面などを作っていた酒井さん。十代後半に進路を決める時、すぐにやりたいと思えることが見つからず「家の仕事でもやってみようかという軽い気持ち」で窯業指導所に入所。成形科でろくろも学び、器づくりの面白さを知ったと言います。2年間在籍し96年に修了、2000年に独立して旧八郷町に窯を構え、2007年、現在の笠間の自宅兼工房に居を移します。





 酒井さんのレパートリーはお皿や鉢などの普段使いの器全般からお茶道具、酒器、花入れ、つぼ、そして祭器など多岐にわたります。使用しているのは笠間の土に信楽などの土をブレンドしたものを使い、薪窯と灯油窯で焼成。「笠間の土は金腐れ()があったりして使いにくいところもあるけれど、面白さもある」。そして器にしても花器にしても、すべての作品が独特の強さと重厚さを持っています。「今風のシンプルなクラフト系のものも作ってみようとしたことはあります。でも、自分の中にないものは作れないんですよね。小さい時から食卓には父の器が並びました。父の作る器は実直な器。あまり、くだけたところのない雰囲気で、凛としていながらシャープすぎない。品がありながら親しみやすい。そういうものを日々使って育ったから、自分の作るものの基準がそこにあるんだと思います」。そして、お父さまも影響を受けたであろう美濃・信楽・唐津・瀬戸などの窯元で量産された雑器のもつ素朴さと美しさなどが酒井さんの器づくりの根本にあるものなのだと言います。





 「器を作る時、洋もののプレートでもセンチではなくて寸で考えるんです。“寸法”は日本人の生活様式に合い、住空間になじみやすい。そこを押さえた上で、土や釉薬といった感覚的な美しさや面白みを大切にしたいですね」
 また、器は料理が載って初めて完成するという酒井さん。「だからちょっと物足りないくらいの出来上がりがいいんじゃないでしょうか。料理を盛り付けて初めて『おおなるほど!』と思ってもらえるような器を作りたいです」




魚福





 笠間市の中心部にある老舗の和食店「魚福」。親子二代で板場に立ち、お父さまの常夫さんが寿司を、息子の学さんが和食全般を、華やかな笑顔で接客や配膳を受け持つのがお母さまの和子さん。はじめはお父さまご夫妻だけで切り盛りしていたお店に息子の学さんが加わったのは2008年秋のことでした。
 東京の料理専門学校で勉強した後、都内の日本料理店や寿司屋で修業、大手通信メーカーの社員倶楽部で料理を作っていた学さんに、29歳のとき転機が訪れます。「知人から、大使館勤務をする料理人を探しているんだけど興味はないかと聞かれて。どこの国かはその時まだわからなかったんですが行きたいと答えました」。平戸さんが出向くことになったのは、中国は北京の在中国日本大使館。おりしも北京オリンピックを2年後に控えて街が活気づいている時期でもありました。「そんなときですから招宴も多く、毎日のように晩餐会やレセプションがあって。料理人は自分と同僚の中国人2人だけだったので、ものすごく忙しい2年半でした」。北京オリンピックが終わった後帰国した平戸さん。笠間にいながらにして、世界の賓客が舌鼓を打った公邸料理人の和食が食べられるのが魚福なのです。

 魚福で使用しているのは笠間焼の器。その中に酒井さんの器も多くあり、寿司に懐石料理にと出番が多いそう。実は、酒井さんと平戸さんは小中学校の同級生です。「ずっと付き合いがあったというわけではなく、大人になってからとしくん(酒井さん)の個展を見に行って、久しぶりに再会したんです」。料理人として修業をしていた平戸さんの目に、酒井さんの器は「すごく料理を盛りやすそうな器」と映ったと言います。
 幼なじみが大人になって、陶芸家と料理人になって再会。修業中の平戸さんと独立したての酒井さんの、いつか一緒に何かやろう、と言う約束が形になったのが2009年でした。笠間産の食材を主に使った平戸さんの料理を酒井さんの制作した器に盛って提供する企画「五感で味わう笠間」。どんな料理にするか、それをどう見せる器にするか。同級生の2人ならではの関係で忌憚(きたん)のない意見をぶつけ合いながら準備をしたといいます。
 この企画も回を重ね、毎回内容にも変化をつけながら続いており、2013年には地元を盛り上げようという2人の取り組みとその内容が評価され、茨城県デザインセンターが主催する「いばらきデザインセレクション2013」で選定(応募総数112件のうち、選定入賞は20点)を受けました。「としくんの器はとにかく料理が盛りやすい。形によっては角があったりして扱いに気を遣いますが、広さといい平らな面の加減といい、使いやすいです」





 酒井さんが器づくりで常に意識しているのが「身体性」。身体性とは?「同じ物を作っても人によって十人十色になるのは、身体性。例えば指の使い方だったり力の入れ具合だったりするんですよね。それが作品に意識しない勢いをつけたり、あそびを作ったりするんです」。その言葉を聞いて感じたのが、作品は作家の体の制作時の状態そのものが反映された、その作家の「今」なのだということ。そして、陶芸と和食という伝統の世界の中でそれぞれのベストを尽くした作品を持ち寄って、2人にしかできない企画を実現している酒井さんと平戸さんが表現しているものも、伝統のなかの「今」。一瞬一瞬ははかなくても、ずっと残っていく「今」もあるのだと思ったのです。
(しばたあきこ)

※焼成した器に土に含まれていた鉄分の塊が黒い斑となって現れること







DATA:

魚福

茨城県笠間市赤坂9-16|Tel.0296-72-7775
営業時間|11:30-14:00
17:00-22:00
定休日|水曜日

>ゆたり掲載記事はこちら http://www.yutari.jp/club/Japanesefood/cJ120831.htm





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