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第一話〜第十九話はゆたり出版の「かさまのうつわ」に再編集し収録されています。「かさまのうつわ」はネット通販、書店、販売協力店でお買い求めできます。詳しくは本とゆたりをご覧ください。


[かさまのうつわ] 記事数:19

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第十二回 穂高隆児さん

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(撮影:山口 努さん)

 1000℃を超える炎に焼かれた末に生まれてきた器が、触れば手を濡らすのではないかと思うほどに瑞々しいとはどういうことだろう。穂高隆児さんの蓮の葉の形をした織部の器は、光を受けて濡れ濡れと輝いていました。
 笠間の陶芸家仲間から「料理長」と呼ばれている穂高さんは、異色の経歴を持ちながら誰をも納得させる道筋をたどってきた方です。

 神奈川生まれで高校卒業後は料理人を志し、大手チェーンの居酒屋に入社。マニュアルに従って全ての料理を同じように盛り付ける仕事に「これは自分じゃなくてもいい。一度ちゃんとしたところで修業しなくては」と、横浜にあるホテル内の老舗懐石料理店に入ります。出社した初日、なぜか白衣とコック帽を渡され、そのままリニューアルオープンしたカジュアルフレンチ店に配属。フランス語の飛び交う厨房で1年半ほどコックを務めますが、知識も増え、盛り付けなども自由に任されるようになった頃、「フレンチは自由で楽しかったんですが、自分は日本人なのでしきたりや習わしのある日本料理をやりたいと再確認しました」
 料理を始めて5年。100年近い歴史を持つ老舗料亭「芝浦牡丹」に入店し、本格的に日本料理人としての修行を始めます。





 「日本料理の経験がゼロからだと、まずは器出しが修業の最初。誰よりも早く出勤してガスと電気を整えて、布巾を用意する。品物が届いていたら仕分けする。最大で600人のコース料理の器をセットすることも。その次は漬物係かな。食材というのはたいてい曲がっているでしょう。サイズの違う物も無駄にしないよう、全部同じように切れるようにするんです。そして味を決める重要なポジションの『煮方(煮付け役)』、最終的に刺身ができるようになって一人前」
 親方のすぐ下「二番手」と呼ばれるポジションまで昇った穂高さんに海外ゆきの話が舞い込んだのは26歳のことでした。スペインの日本大使館の料理人が帰国し、後任に抜擢されます。任期の2年ほどの間にスペイン皇太子が結婚。日本からは皇太子殿下や総理大臣が来西するなど多忙な日々を送ります。帰国後、東京の有名店や芝浦牡丹本店の副料理長・築地支店の料理長を歴任。
 「お客様には料理のことだけでなく、器のことも聞かれます。親方がいないと答えられないのは恥ずかしいと思って」、焼き物の勉強を始めた穂高さん。産地めぐりをしているうちに作陶への意欲が膨らんできたといいます。



(撮影:山口 努さん)

 「いつか自分の店を持った時、懐石料理から器まで、全部自分で作りたい。そう思って陶芸を教えてくれるところに少し通ったりしました。でも、料理教室に通っていても料理人にはなれないように、陶芸教室に通っていても陶芸家にはなれません。何をやるにも、それを突き詰めるには相当の年月が必要です。本気で陶芸を始めるには年齢的にラストチャンスだと思い」、2011年笠間の窯業指導所に入所。「十何年もお世話になった親方に、陶芸家になりたいとはなかなか言い出せませんでした。でも『もしお前が絵描きやカメラマンになりたいと言ったら本気で止めたけど、器を作りたいと言うならわかった』と快く送り出してくれて」
 そこからの穂高さんの躍進ぶりは目を見張るものがあります。2年間窯業指導所で学んだ後、独立1年で初個展。その器はプロの目にも留まり、銀座や六本木の和食店・寿司店数店舗で使用されています。




うつわや 季器楽座





 穂高さんの初個展が開催されたのは、水戸にあるギャラリー「うつわや季器楽座」。オーナーの山口努さん、和子さん夫妻は誰よりも早く穂高さんの器に注目してきた人たちです。以前は、百貨店や専門店に勤めていた経歴のある山口さんご夫妻が季器楽座をオープンさせたのは1997年のこと。当初は水戸駅近くにあった店舗を、現在の緑豊かな隠れ家的場所に移転しました。店内には笠間・益子のみならず、日本各地から選んだ器がディスプレイされ、すみずみまで磨き抜かれた店内には心地よい緊張感がみなぎります。

 「山口が、窯業指導所を卒業したばかりの穂高さんのお皿とぐい呑みを買ってきて『いつかこの人の個展をうちでやろう』と言ったんです。それはどう見ても削りが足りなかったり飲みにくそうだったり、私は首をかしげていたんですけど(笑)」
 「でもその後も作品を見て感じたのは、彼の作る器が料理にとって絶妙であるということ。うちには食器棚が3つありますが、彼の器のように料理を受け止めてくれる大きさ・深さはどこにもないものなんです。それはおそらく、彼が今まで板場で何千となく見てきた器のイメージの集積なんだと思います」と和子さんは言います。

 季器楽座での個展では、山口さんから作家にしばしば“リクエスト”が出されます。
 「たいていは僕のほうが年上なんですけど、作家とはフィフティ・フィフティです。対等な立場でものを言い合って、企画を出し合って、でも出来てきたものにダメ出しをすることもあります。そこから新たな物が生まれることも多い。それくらいでないと、ここでやる意味はないし、ここでしかやれないものにしなくてはならないといつも考えています」。穂高さんの場合、山口さんからのリクエストは料理でした。
 「彼の器は”料理人が考える器“。作陶の最中から、料理を盛り付けられた姿がイメージされている。出来上がった器に料理が載って、完成形。独立して間もない穂高くんの器にはまだこれからのところもたくさんありますが、それを差し引いても余りある”料理“という視点があるんです」
 オーナーからの熱いリクエストに応え、初個展では週末ごとにギャラリーに併設のカフェで「料亭穂高」を開店。季器楽座の上得意なお客さまに、自ら築地で仕入れた食材を使った繊細な懐石料理のフルコースを自作の器に盛り付け大好評を得ました。
「料理人はやめて陶芸家になるんですか」と穂高さんにお聞きすると「やめません。どちらもやります」と、即座に答えが返ってきました。

(撮影:山口 努さん)

 陶芸も料理も、1人の人が一生かけて取り組むこと。それを1人で2つやろうとしている穂高さん。一度料理の分野で頂点まで登り詰めた人には、陶芸家として今自分が何合目にいるのか、明確に見えているのかもしれません。(しばたあきこ)






DATA:

うつわや 季器楽座

茨城県水戸市米沢町195-3|Tel.029-246-1411
営業時間|10:00~19:00(カフェのL.O.18:00)
定休日|月曜日(祝祭日の場合は営業)
HP|http://www.kikirakuza.com





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