やさとの鯨岡地区に、自力で家を建てながら、無農薬のお野菜やお米を育てて自給的に暮らしている素敵なご夫婦がいます。八七技耕夢展(やなぎこうむてん)の柳岡寿行さん(31歳)・薫さん(28歳)です。
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八七技耕夢展とスワラジのこと
寿行さんは大工仕事から農作業、果樹の手入れや庭仕事、加工品作りなど、暮らしに関わる色々なことをこなす現代の百姓です。屋号の「八七技耕夢展」は寿行さんが命名。八七技の八七は、名前の柳岡にもかかっていますが、八十八に一つ足りないという意味。昔は米作りに八十八の手間がかかると言われていました。それに少し足りなくてもいい、完璧じゃなくてもいいっていう意味も込めたと寿行さん。大工仕事もこなすので「工務店」をもじって耕夢展と名乗っているそうです。
寿行さんに農業の道へ進んだ理由を聞くと、「中学生の時、父親が心から楽しいと思って働いているように見えなかったんですね。自分は心から楽しいと思える仕事がしたいと思い、農業はなんだかおもしろそうだと思ったんですね。」その後、石岡第一高等学校の園芸科で果樹を学び、高校卒業後は水戸の農業実践大学に入学。その頃はまだ今のような自給的な暮らし方をイメージしていなかったそうですが、2002年転機がおとずれました。やさとに「スワラジ学園」(*注)という農的生活を目指す人たちが共同生活を行い、無農薬の野菜作り、大工仕事、家畜を育てるなど、実践的に農的生活(自給農業)を学べる場所ができたのです。そこで「実習助手をやらないか?」と誘われ、卒業を待たずスワラジ学園の実習助手になったそうです。
「スワラジでは、本当にたくさんのことを学びました。スワラジでの実習助手(5年半)の経験をしていなかったら、なんでも自分で作ってみよう、ましてや自分で家を建てようなんていう、暮らし方はしていなかったかもしれないです。自分で考える力、自然にあるものを工夫して使う。ということを覚えました。」
*注)スワラジとは、インドの独立運動のスローガンで、ヒンドゥー語で「自治・自立」という意味。その言葉を冠としたスワラジ学園とは、畑を耕し、自分で食べるものを作り、大工仕事から野良仕事まで、自立した暮らしを営む術を学べる学校ということでスタートした。
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自分で考える力=「自立」
それにしても、自分で家を建てるという発想はどこからやってきたのでしょうか?
寿行さんは「お金が無かったから、あまりお金をかけないで作りたかった、そして、自分の住むところだから、自分の好きに作りたかった」とさらり。寿行さんは学生のころから大工仕事や解体の仕事を手伝いに行っていて、そこで建物の基礎の構造や仕組みを知り、「作れる!」と自然に思えたそうです。
「例えば都会での暮らしは、人が地面から切り離されている気がするんですよね。簡単に色んなことが調べられて便利な社会だけど、そうやって調べたこととか、人から教わったこととか、頭で覚えただけでは忘れてしまいます。身になる学びは、自分で考えて、自らやってみて現場で知る感覚が大事。そして、この場所には、自分で考えて、挑戦できる現場があるし、本当に困ったら手を貸してくれる人もいる」と寿行さん。
1階は納屋と台所とお風呂場、トイレがあり、2回に居住空間があります
以前、トラクターで田んぼを耕していて、ぬまって(はまって)しまった時、とにかく自分でなんとかトラクターを動かそうと色々試したけどダメで、途方に暮れていた時に近くの農家のおじさんが声をかけてくれて、アドバイスしてくれて、最終的にはもう少し大きなトラクター持ってきてくれて引っ張り出せたことがあったそうです。
「助けてもらえる人がいる有りがたさと同時に、色んなことを試して経験を積めたおかげで、それ以来、大体どんなにぬまっても自分で出せるようになりました。近所でぬまった車があったら声をかけられるようになりました。そして実感したのは『自分で考える力』は『自立する力』ということ。こうやって自分が得た力で人の役に立てると嬉しいですね。」
お風呂は薪で火を興して焚く五右衛門風呂(左)。解体現場からもらってきた建材が所狭しと置いてあります(右)。
いま、私たちの暮らしは、食事ひとつをとっても、元の姿(生きている豚や鶏、畑で育ている野菜など)を自分の目で見ることができないほど遠くのものに頼りきってしまっています。そんな暮らしのなかでは、家を自分で建てるという発想もプロの建築家でなければ思いもよらないことなのではないでしょうか。けれど柳岡夫妻はできるだけ自給的、自立的に自分たちの手でやろうと挑戦しています。
焚口は家の外にあり、大屋石が多用されています
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自宅出産という選択
彼らのもう一つの挑戦は、二人だけの自宅出産でした。薫さんに自宅出産をしようと思った理由を聞きました。
「看護師をやっていたんですが、実は病院が嫌いで(苦笑)。 できるだけ病院にかかりたくなかったというのも一つの理由です。でもそれ以前に高校生の時、友人のお母さんが自宅出産をする人の見守りをやっているって聞いて、病院や助産院に行かず自宅で出産する人がいることを知っていたから思いこみが少なかったこともあると思います。」
自宅出産という選択肢を意識し始めてから、薫さんも寿行さんも色々と勉強し、そして調べれば調べるほど、「助産院や産婦人科で、仰向けに分娩椅子に座って股を拡げて産むのは不自然だし嫌だ。四つん這いか、膝をたてて腰を浮かせて重力も利用して産む方が自然。傍にはとしくん(旦那さん)だけいてくれればいい。自然分娩ができる準備が整えられれば、病院で産むより自宅で自分たちで産みたい」と決意。そんな妻を全面的に旦那さんは応援し、出産時には付添い、薫さんの背中をさすり、水を飲ませ、出てきたわが子を取り上げた時のことを嬉しそうに語ってくれました。そして今2人の傍らには元気に産まれてきてすくすくと育っているみくちゃん(1歳2カ月)がいます。
自分たちだけの自宅出産をするという覚悟を決めるまでには、葛藤や苦労もあったといいます。
「善意で心配して言ってくれているんだとわかっていても、“何かあったらどうするの?”と何度も何度も説得に来てくれる人もいました。私は自分が元気だったし、お腹の赤ちゃんも元気だったし、異常があればきっとわかるし、大丈夫だって自信があったんですね。でも、もし何かあった時に、としくんのせいにされるのは嫌だなって思っていました。たぶんダメな時は病院で産んでもダメだと思って。そして何があっても誰のせいでもない。その事実を引き受けていくって決めて挑みました。」
みくちゃんは生まれて一ヶ月で畑デビュー
今改めて1年前の自宅出産の感想を聞くと、とてもうれしそうな顔で、「自宅出産して本当に良かった」と薫さん。「産婦人科では絶対できない、胎盤を食べることができたり、生まれてすぐのわが子と父親がゆっくり一緒にいられたこととか。本当に良かったと思います。もちろん誰にでもやったらいいとは言えないけど、できる条件が整うなら、ぜひ自宅出産を勧めたいです。」
(注:産後の母体の体力回復とか、母乳の出をよくするために胎盤を食べさせてくれる助産院もあるが、産婦人科では廃棄物扱いになる。)
お二人の「自分でできることを増やす」という生き方、暮らし方は、世界に張り巡らされている大きな見えないシステムや常識という枠を横目に、大地の上で食べるものを育て、森から頂いてきた木材で家を作り、枝や木片でお湯を沸かし、得意なことを持ち寄り、仲間たちと分かち合い、共に生きるという世界を構築しています。
寿行さんがこんなことを言っていました。「お金を払えば何でも手に入るということに疑問があり、自分でできることを増やしたかった。でも何年かやっていくうちに、自分だけの“自給自足”ではなく、自分にできないことは他人に助けてもらう、“地域自給”のような暮らし方ができたらと思うようになりました。」
野菜や加工品を定期的にマーケットで販売しています
八郷にはゆるやかにこのような分かち合いの自立ネットワークが広がっています。そして、ここには今までとは違った価値観でこれからの未来を作ろうとしている動きがあります。
次回はそんな動きのひとつである「八豊祭」について取り上げたいと思います。(Sachiko Kang)
さくら朝市 毎月第3日曜
>https://www.facebook.com/SakuraAsaichi/
八豊祭(やっほうまつり)2013年10月20日(日)
>http://8houmatsuri.jugem.jp/
やさとクラフトフェア 2013年11月22日~24日
>https://www.facebook.com/Yasatocraft
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(登録第5290824号)