ご利用規約プライバシーポリシー運営会社お問い合わせサイトマップRSS

第一話〜第十九話はゆたり出版の「かさまのうつわ」に再編集し収録されています。「かさまのうつわ」はネット通販、書店、販売協力店でお買い求めできます。詳しくは本とゆたりをご覧ください。


[かさまのうつわ] 記事数:19

< 次の記事 | 前の記事 >


第五回 稲吉善光さん

このエントリーをはてなブックマークに追加



 はじめにその渋い名前と作品だけを目にした人は、稲吉善光さんがこんなに若くて軽快な風貌の人だとは思わないかもしれない。それが、稲吉さんにお会いした最初の印象でした。
 稲吉さんの作る器は、森を散歩している足もとに見え隠れするような深い土色の黒釉のもの、青みがかった透明釉の中で溶けて流れ落ちかける斑が美しい灰釉のものなどがあり、「土もの」という言葉がしっくりくる力強さ、パッと人目を引くというよりは、見れば見るほど吸い込まれていくような静かな引力があります。





 愛知県出身の稲吉さんは岩手大学教育学部に進み、小学校教諭になるための勉強をするうちに陶芸と出会います。
 「小学校教諭ですから、ピアノ、体育、図工となんでもやるんです。美術棟で上の学年の人がろくろをやっているのを見て感じるものがあり、教職の勉強の傍ら陶芸をはじめました」。教育実習にも出かけ、そこで一ヶ月近く先生として過ごした稲吉さんですが、進むはずだった教師への道に違和感を覚えます。「教壇上から子供たちにものを教えることをしていて、何か違うと感じたんです」。考えた末に教職への進路を変更することに。





 その後どこへ進むべきか迷いながら新たなスタートラインに立つとき自らの中にあったのが陶芸でした。「益子と笠間を旅して、焼き物を見たり窯元を訪ねたりしていました。その中である窯元の親方と話し込む機会があったんです。自分の気持ちや状況を話しているうちに、じゃあうちで働いてみたらということになって」。まるで焼き物の産地に引き寄せられるように話は進み、稲吉さんは笠間に住むことになりました。
 その後、笠間の窯業指導所を修了して1999年、独立。2002年に吾国山を望む緑豊かな場所に窯を築きます。





 稲吉さんの器の落ち着いた雰囲気はどこからきているのでしょうか。
「最初から、こういう作風だったわけではないんです。今の時代に合った軽さ、デザイン性を目指したこともありました」
 クラフト好きな若い人が手に取ってくれる器。たくさんの器が並んだ時、目につくようなデザインを考えて試作する毎日。そうしているうちに、作る手が止まったと言います。「なんだか作品に自信がもてなくなって。手が止まり始めると作家としてはまずいですよね。でも自分の作ったものが好きじゃなくなってしまったんです」

 そんな中で稲吉さんが「心の師匠」と仰ぐ和歌山の作家に出会います。
 「森岡成好さんという方です。薪窯で焼き締めなどの器を作る方で、森岡さんは、窯でも薪でもなんでも全部自分で作ってしまう。土も自分で採ってきます。ないものは自分で作る、その生活の中の一つに器を作ることがあって、陶芸が生活から切り離されていない。ぼくも森岡さんと少しの間寝起きを共にさせてもらって、これが本当なんだろうな、とすごくしっくりきました」
 自らの目指す器づくりは、それ自体が特別なことではなく、生活の中の一環、自然の中の一環であること。頭で考えたものではなく、自分の思う本当の生活をする中から生まれる作品。気持ちが一つの方向を向き、そこからまた稲吉さんの制作が始まります。





 「ぼくの器は焼き物好き、料理好きな方が使ってくれる器なんじゃないかと思います。器は、料理をいかにきれいにおいしそうに見せるかが大切な役割。食材を生かす器であったらいいと思います」
 パートナーの博美さんも「彼の器は使って初めて良さがわかります。飽きないし盛り映えするし、磁器の中に一つあっても合わせやすいんですよ」と日々の実感を口にします。
 釉薬の試作にも余念がなく、テストピースは数えきれないほどだそう。灰釉の作品に使う灰は、博美さんのご実家の岩手県盛岡のストーブから出る林檎の灰をもらっています。
 「林檎の灰ってなかなかないんです。岩手で剪定して出た林檎の枝を燃やした灰、この不純物を除き、調合して焼き物に使っています」

 稲吉さんが心の中にある器づくりのイメージを、時間をかけて考えながら言葉にしてくださいました。
 「いつも器の輪郭が強すぎないようにと考えています。器も人間と同じく揺らぎをもっていて、器を介して外の世界とつながっていきたい。この器を土に埋めたとき、そこから根が生えてどんどん大きくなっていくような。その場で完結する器じゃなくて、器自体が違うものに変容していくような。抽象的かなぁ。わかってもらえますか(笑)」
 完全にとは言えないまでも少しはわかったような気がしてうなずきましたが、毎日稲吉さんの器を使っているうちに、自然とその言葉の意味の本当のところがわかるのかもしれないと思いました。




三春 笹巻ごはん





 日立市で70年近い歴史をもつ老舗の料亭「三春」。東日本大震災で大きな被害を受け、三代前から続いた料亭としての営業を、現在はお昼のランチのみに切り替えて行っています。
 その三春の名物といえば笹巻ごはん。料亭時代には酒席の締めとして出されたもので、今もランチや通販で味わうことができます。
 茨城産のローズポーク・肉厚のどんこ椎茸などを甘辛く煮た具を山形産のもち米にくるみ、薫り高い笹の葉で巻いた笹巻ごはん。2013年には茨城県で行っている「いばらきデザインセレクション」で最高賞にあたる知事選定を受けました。今回はこの笹巻ごはんを、稲吉さんの器に盛り付けてもらいます。

 三春の渡邊映理子さんは、二代目のお母様とともに三春を切り盛りする三代目。時間をかけて下ごしらえした笹巻ごはんを稲吉さんのアトリエでふかしてくれました。
 蒸し器が湯気をたてる間、稲吉さんの器を見る渡邊さんからどんどんお料理のアイディアが出てきます。
 「この茶色、ごはんの白がさらに白くおいしそうに見えるでしょうね。まぐろの赤身なんかを載せても本当に映えそう。青物もきれい。同系色だけど、切り干し大根と切昆布をお酢とお醤油で味付けしたものもすごーく合いそうね」。稲吉さんと博美さんからも「和食もいいですし、イタリアンの、トマトの赤、バジルの緑といった色もいいんですよ」。さまざまなメニューが目の前のお皿にどんどん盛り付けられていくようにお料理の話が尽きません。

 笹ともち米のいい香りが漂う中、20分ほどふかした笹巻ごはんが蒸し器から器に移されます。黒釉の器をつくったとき、その一部に出たかすれた色あいと鉄分の班を全体に再現したいと作った浅鉢。思い通りの釉の色が出たという器は笹巻きごはんの笹の緑色と相まって、そこが野であるかのようです。
 「とてもいいですね!笹巻ごはんにぴったり」と渡邊さん。笹巻ごはんを自作の器から一口ほお張った稲吉さんも「おいしい!」と一言。器の作り手と使い手が、ほほ笑み合うひとときです。





 稲吉さんのおっしゃる「器を介して外の世界とつながっていきたい」というのは、まさにこうした料理と器、作り手と使い手の出会いのことなのだと感じたのでした。
(しばたあきこ)






DATA:

三春

茨城県日立市旭町2-8-14|Tel.0294-22-1567
営業時間|11:30~14:30
定休日|日曜・祭日  「カフェ オキーフと三春」は不定休(営業日はHPをご覧ください)

>三春 http://ameblo.jp/hitachi-miharu/

>カフェ オキーフと三春 http://www.okeeffe-sweets.com/

>ゆたり掲載記事はこちら http://www.yutari.jp/club/Japanesefood/cJ120710.htm




ページの先頭に戻る▲

[かさまのうつわ] 記事数:19

< 次の記事 | 前の記事 >

新着情報

» かさまのうつわ
» カテゴリ



「ゆたり」は時の広告社の登録商標です。
(登録第5290824号)