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「ジブンらしくツナガルくらし」はゆたり出版の「ゆたり文庫 地方に暮らす。シリーズ01 地方とわたしとつながる世界」に再編集し収録されています。書籍はネット通販、書店、販売協力店でお買い求めできます。詳しくは本とゆたりをご覧ください。


[地方に暮らす。[里美編]] 記事数:8

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|第五話|重なり合って響く、地域の鼓動

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 例えば里山が見せる四季折々の表情だとか、玄関にそっと置かれた野菜と、そこに添えられた地域の人の優しさだとか、そんな地域の生活で起こる一つ一つのことに心が弾む度に、里美地区での暮らしはなんてドラマチックなのだろうと、ふるふると胸が震えるような感覚を覚えることがあります。それは、これまでに経験したことのない種類の喜びであり、その感情との出会いは、これまでの自分の暮らしと日本の地方という場所がどれだけ乖離していたのかということに気づくきっかけともなりました。「地方で暮らす」という当たり前のようで当たり前でないドラマチックの欠片を、誰かと分かち合うことでさらにつながりの輪を広げていけたら。そんな小さな願いを織りなすような気持ちで、今回も里美地区での暮らしの情景を綴っていきたいと思います。



里美の冬に灯る、小さな火を守る仕事

 今回ご紹介するのは、里美地区の大先輩、佐藤みささん(78)です。みささんは、お隣の大子町出身で、今から56年前の22歳の時に里美地区へお嫁にやって来ました。「あの頃はまだ道路ができていなかったから、水府地区の高倉の辺りを通ってお嫁に来たのだけれど、山道ばかりで車に酔って大変だったんだよ。」と、みささんは当時の様子を懐かしむようにお話してくれました。もともとは、里美地区外からお嫁にやって来たみささん。しかし、里美地区での56年の暮らしを経た今では、地域をよく知る大先輩です。




 そんなみささんと私たち協力隊をつないでくれたのは、地域の暮らしに寄り添うある建物がきっかけでした。みささんの暮らす里川町は、今でこそ在来作物の里川カボチャで有名な地域ですが、昔は刺身こんにゃくの原料となるこんにゃく芋の栽培が盛んな地域であり、地域の女性によるこんにゃくの加工が平成25年まで行われていました。地域の特産品を物語る、その貴重な建物が火室(ひむろ)です。火室とは、冬場こんにゃく芋を越冬させるための貯蔵庫で、毎年晩秋になるとこんにゃく芋を畑から掘り起し、11月下旬から5月上旬までの期間保存します。しかし、それだけでは厳しい冬の寒さを乗り越えるのは困難であるため、期間中は室内で炭をおこし、毎日朝晩管理をして火の様子を見守りながら春を待つのです。
 昔は各家庭で火室が使用されていましたが、現在里川町で稼働している火室はみささんの家のみとなり、今は集落の人と一緒に共同でこんにゃく芋の管理を行っているそうです。そして、その火を守ることが、みささんが毎年欠かさず行っている冬の仕事です。現在使用されている火室は、お嫁に来た翌年の55年前に作られたそうで、季節と共に歩んできたその建物は、一歩足を踏み入れるとじんわりと温かく、燻られたような独特の香りが立ち込めていました。建物の柱や、芋が保管されている籠は煤で黒々と光り、とても趣があります。
 私たちは、この火室を里美地区の地域資源として活動の中で何度か紹介させて頂いており、その度に彼女に火室についてお話をして頂きました。時代と共に少なくなったこの炎が、今後いつまで地域で燃え続けるのかはわかりません。この火が消えて欲しくないとも思いますが、それはきっと私のエゴでしょう。しかし、今ではほとんど見ることのできなくなった生きた火室と、それを守り続ける彼女の姿を見たときにシンプルに「美しいな。」と感じ、あの日胸に流れた静かな感動を、これから出会うであろう未来を生きる人たちと共有することができたらと願わずにはいられないのでした。そんな残したい風景が、地域での暮らしには溢れています。






地域の奏でるリズムに耳を澄まして

 地域でも評判の働き者のみささんが、季節を共に歩む作物はこんにゃく芋だけではありません。みささんは、毎年家庭で食べる分の野菜を、豆を中心に約20種類程育てているそうです。等間隔に並んだ野菜の苗や、おいしく調理された漬物からも感じられることなのですが、彼女の育てた作物からは彼女の人柄がにじみ出ており、土や作物への丁寧な愛情が感じられます。
 そんなみささんが農業を始めたのは19歳の時。早くに母親を亡くし、家の手伝いとして農作業を始めたことがきっかけだそうです。里美地区へお嫁に来てからも、お姑さんは地域の産婆さんとして多忙だったため、すぐに農作業に取り組んだのだそうです。「畑仕事は昔からそんなに大変さを感じなくて好きだったね。」そう笑いながらお話してくれたみささん。その中でも特に、彼女の話を伺っていて印象的だったのは、日々の生活の中に暦が息づいていることでした。「私はね、決まって大安や先勝の日に種をまいたり、冷やしたりするの。もちろん収穫やこんにゃく芋を火室にいれるのもその日。なぜだかわからないのだけれど、そうしたほうがなんだか気持ちがいいから」。

 気持ちがいい。それはきっとその土地に根付いて暮らさなければわからない感覚で、地域で暮らすということは、地域の人だけでなく自然や暦とも寄り添いながらそれぞれの放つリズムに合わせて生きることなのだと、みささんの暮らしから教えてもらったように思えます。それぞれが、奏でる鼓動がきれいに重なりあって、より大きな地域の心音となる。ゆったりとしているけれどどこか力強い、ここでしか聞くことのできない独特のそのリズムこそ、地域がちゃんと生きている証拠なのだと感じました。






言葉の中に見える、柔らかな結び目

 ここまで、地域の自然や巡る季節との関わり方を中心にみささんの地域での暮らしについて綴ってきましたが、続いて彼女が一番大切にしている、家族や周囲の人との関わりについてお聞きしたことを綴っていきたいと思います。
 みささんは、お嫁に来てからの里美地区での暮らしを「家族で生きてきた。」とお話してくれました。来た当初の頃は10人くらいの大家族で暮らしており、現在は息子さん夫婦とお孫さんの4人で生活をしているそうです。「今も昔も、家族が協力をしてくれるからやっていける。」というみささんの言葉には、家族への深い愛情とたくさんの感謝の気持ちが感じられました。
 また、里川町という地域での暮らしについても、「本当に地域の人がいい人でね、みんな家族みたいなの。いつも近所の友達とお茶のみをして、困ったときはお隣で結して助け合うんだよ」とお話してくれました。『結』という言葉が、概念ではなく生きた言葉として何気ない会話の中に存在していること、つながりが確かに目に見えること、それはとても素敵なことだと感じました。同じ里美地区で暮らしていても、こうして一人一人と向き合って言葉を交わすと、会話から見える暮らしの風景の中にはその人の人となりが表れていて、たくさんの「異日常」が存在していることに気づかされます。そんな多様性もまた、地域の奏でるリズムとなって、今日も地域を動かす原動力となっているのでしょう。




2年に1度行われる地域の産業祭の様子。楽しげな地域の様子が伝わってきます


 最後に、これからの地域の暮らしについてみささんにお尋ねすると、凛とした口調で「今後は家庭を守っていきたい」という答えが返ってきました。みささんの言う、「家庭を守る」とは、みんなで一緒に時間を共有し、気持ちよく過ごす事なのだそうです。自分のすべきことをきちんとこなし、時には周囲の人と支えあいながら季節と共に日々を歩む。大切な人とのつながりを丁寧に積み重ねていくために、冬に毎日火室の火を見守り、また春が来ると土と向き合っては、収穫した野菜を大切な人にふるまうのでしょう。そうして小さな鼓動を自分自身でも奏でていく。 「みんなに愛してもらえるのがしあわせ」そんな素敵な言葉が、自然に口からこぼれるみささんの地域での暮らしは、あらゆるものとのつながりを楽しみながら生きる喜びで満ち溢れていました。
(Relier里美支部・笹川貴吏子)


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