「本気で遊ぶ まちの部活」はゆたり出版の「ゆたり文庫 地方に暮らす。シリーズ03 本気で遊ぶ まちの部活」に再編集し収録されています。書籍はネット通販、書店、販売協力店でお買い求めできます。詳しくは本とゆたりをご覧ください。
[地方に暮らす。[前橋○○部]] 記事数:10
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街おこしのカタチはさまざまですが、群馬の県都・前橋市では、3人の市民が始めた仕組みが街に新たな風を吹き込み、今や前橋を代表するような存在になっています。それは「前橋〇〇部」。
「前橋〇〇部」の部長を務める藤澤さん
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「〇〇したい!」の想いを
FBでつなぎ、実現させる
「前橋〇〇部」の仕組みはいたってシンプル。「〇〇したい!」という誰かの想いを、広くつなぎ、実現させるという明快なもの。そして、この仕組みを成立させるために活用しているのがフェイスブック(以下FB)です。FB上で、「こういう部をやります」と宣言し、それを見て共感した仲間が集まったら部活誕生。発起人が部長となって実際の活動を行い、その様子は随時、FBにアップしていきます。
「FB上で①宣言する→②共感を得る→③実行する、という3つのアクションを行うだけで部活が生まれる。自分の想いに、多くの人が共感するという経験は人生を変えてしまうほど感動的。その感動を多くの人に味わってほしい」。そう話すのは「前橋〇〇部」を発案し、プラットフォームとしての「前橋〇〇部」の部長を務める藤澤陽さんです。
シャッターが下りた店舗が目立つ前橋の中心商店街
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自由につくり、自由に止める。
敷居は低くがモット―
これまでに誕生した部活数は数百に上り、数千人の市民が携わっていると推定されます。“推定”というのは、「創部のための手続きなど一切行っていないし、うまくいかない、つまらないと感じたら、すぐに活動を止めればいい、という気軽なスタンスにしているため。とにかく“敷居は低く”がモットー」と藤澤さん。
定期的に勉強会を開く「前橋葡萄酒部」「前橋カメラ部」などガチな部活もあれば、ひたすら大好きなものを食べ歩くだけという「前橋パフェ部」「前橋ラーメン部」などゆるい部活もあります。部活の内容は飲食やスポーツ、サブカルチャーなど何でもOK。タブーはありません。
なかには「これなに?」と思うような部活も…。例えば、“アクティブに何もしない”仲間たちが集まった「前橋帰宅部」。また、「前橋妄想部」というちょっぴり危険な響きのこの部活は、妄想によるラジオドラマを製作し、まえばしCityエフエム「M-WAVE」で放送する活動をしています。
そして今や、「前橋〇〇部」は市内だけでなく、全国各地に波及し、2015年7月現在、北海道から九州まで約40の都市で、同じスタイルの〇〇部が発足しています。一見すると、特別でないこの仕組みが、全国各地を席巻する「システム」へと広がっていったのはなぜなのでしょうか。
その背景にはSNSの普及という社会現象があることは言うまでもありません。やりたいことはあるけれど踏み出す勇気がない、仲間づくりが苦手、資金や時間がない、という人でもSNSを使えば、気軽にスタートでき、想いをシェア・拡散することが容易にできるようになりました。
でも、それだけではありません。生みの親の一人・藤澤さんに「前橋◯◯部」誕生までの経緯を伺いました。
多種多様な部活が次々に生まれています
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自分の好きなことを追及することで
社会の役に立つのが理想
藤澤さんは前橋の中心市街地の出身。大学中退後、デザインの専門学校を卒業し、20代~30代前半は都内でフリーランスのデザイナーをしていました。
「デザイナーと言っても、モノを売るデザインは得意でなく…(笑)。人のつながりをデザインするコミュニティデザインの仕事が専門」だったそうです。
また当時、彼が住んでいた秋葉原の街を盛り上げるNPO活動にも力を入れていました。その内容が実にユニーク。エコ活動の一環として、メイド喫茶のメイドさんが街に打ち水をする「うち水っ娘大集合!」、買い物したときにレジ袋を断ると、メイドさんがちょっとしたお礼をしてくれる「Myメイドバッグプロジェクト」などを仕掛け、社会的に大きな反響を呼びました。
NPOの名称は「リコリタ」。漢字で書くと「利己利他」です。利己(自分の好きなこと)を追及していくと、利他(他者のためになること)につながる、という意味があるそうです。
「最初から社会に役立つことをしようなんて、大上段に構えて行動すると、途中で息切れがするし、面白いことなどできるはずがない。逆に、自分でやりたいことをやろうと思うと夢中になれるし、長続きする。いつのまにかそれが社会のためになっていたりする」と藤澤さんは力説します。彼のこの思考回路がのちに、「前橋〇〇部」を生み出したことは間違いありません。
NPO「リコリタ」で行った「うち水っ娘大集合!」の様子
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自転車通勤部との
運命的な出逢い
その後、結婚して家族を持ち、フリーランスの生活に区切りをつけようと、2011年3月、実家がある前橋市にUターンしてきた藤澤さん。東日本大震災の10日後のことでした。
前橋で目にしたものはシャッターの下りた店舗が点在する、空洞化した中心商店街。それに輪をかけて、震災後の重く閉塞的な空気が漂っていました。「店もなければ人もいない。何の刺激もない」、モヤモヤした気分で過ごす日々。秋葉原での活動を思い出し、周りの人たちに「前橋の街おこしをしたいんだけど」と言っても、「なんで今さら?」「賑やかなのが好きなら隣の高崎市へ行ったら」などと言われる始末です。
「前橋で打ち水イベントを仕掛けようかと思ったこともあった。でも、東京の真似をしたくない。前橋でなければできないことをしたい。でも、ないない尽くしの前橋で、なにができるのだろうか?」。
絶望感を抱えていたときに、出逢ったのが自称「自転車通勤部」のメンバーでした。代表の岡田達郎さん、岡正己さんをはじめとする20~30代の学生や社会人約20人。年齢は違っても、妙に和気あいあいとした雰囲気が印象的でした。
「自転車通勤部ってどんな活動してるの?」、不思議に思ってたずねる藤澤さんに、岡田さんは言いました。「どんなって、毎日、自転車で通勤してるだけだよ」。
「すげえ、かっこいいじゃん!」、藤澤さんの頭のなかで何かがひらめきました。「やりたいことをやって、それを部活にする。これだ!」、「前橋〇〇部」の芽が生まれた瞬間でした。
「前橋◯◯部」を創設した3人。左から、岡田さん、藤澤さん、岡さん
(文=阿部 奈穂子/写真協力=藤澤陽)
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