「本気で遊ぶ まちの部活」はゆたり出版の「ゆたり文庫 地方に暮らす。シリーズ03 本気で遊ぶ まちの部活」に再編集し収録されています。書籍はネット通販、書店、販売協力店でお買い求めできます。詳しくは本とゆたりをご覧ください。
2015年秋、前橋〇〇部は前橋市と手を結んで大規模なイベントを決行しました。10月10日から45日間にわたって、中央イベント広場「tokku park」を中心に行われた「前橋〇〇特区45days」。市民から、自分のやりたいことを募集し、それを自由に展開してもらいさまざまな事が起こる45日間にするというイベントです。合言葉は「遊ぶように、革命しよう。」
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長年の構想が行政のバックアップで実現
中央イベント広場はtokkuparkとして衣替え
2015年春、前橋〇〇部部長・藤澤陽さんの元に、前橋市制作推進課から思わぬ依頼が飛び込んできました。「この秋『前橋〇〇特区45days』を行いたい。協力してほしい」というもの。「前橋〇〇特区」とは藤澤さんが2013年の前橋忘年部で初めて口にした言葉で、その後も部活の集まりがある度に特区構想を熱く語っていました。
前橋市長・山本龍氏からも「面白い!」と絶賛された、その構想とは―。
南は国道50号、北は広瀬川、東は中央前橋駅、西は国道17号、そこに挟まれた地区を「前橋〇〇特区」と自分たちで宣言し、誰もが自由に表現できる場、何かを仕掛けられる場にしよう。特区内で商売する人や暮らす人は、みんなの「何かしたい」という気持ちを温かく後押ししようというものです。
「80・90年代の名作マンガ『AKIRA』の中盤で、崩壊した東京に、若者たちが自ら【大東京帝国】を築きあげようとしたあの革命に似たイメージが頭の中にあった。大人たちに任せるのではなく、自分たちで街をつくり上げる。前橋〇〇特区という区画に入ると、誰でも何かを起こせる空気が漂っている、そんなワクワクした空間をつくりたかった」、藤澤さんの長年の構想が前橋市のバックアップの元、実現することになったのです。
「前橋〇〇部が行政と手を組む。〇〇部もそこまで成長したのかという誇らしい気持ちだった」と当初は喜んでいた藤澤さん。事務局を前橋〇〇部の発起人の一人・岡正己さんが勤務するまえばしCITYエフエム「M-wave」内に設置。岡さんが副運営責任者、藤澤さんがアートディレクターという立場で、このイベントの指揮を執ることになりました。
ところが、準備を進めていくうちに、藤澤さんの心に小さな違和感が生まれてきたのです。責任を伴わず、冗談と遊び心で物事を進めていく前橋〇〇部とは異なり、行政にはさまざまな縛りがあります。イベントの範囲についてもその一つ。藤澤さんが当初描いていた特区構想は中心市街地という限られた区画ありき、でした。しかし計画途中から前橋市の方針で、市内全域にイベント会場を広げるという方向性になってしまったのです。「これでは特区という言葉の意味がまったく伝わらないではないか。コンセプトも前橋〇〇部との違いが無くなってしまった」。なんとなくテンションが上がらない藤澤さんの気持ちをフォローしたのは岡さんです。行政との交渉や煩雑な事務処理を全て引き受け、藤澤さんのパフォーマンスを最大限に生かせる環境づくりに取り組んでくれました。
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市民から飛び出した120の特区宣言!
影遊び特区
そしていよいよ「前橋〇〇特区」開幕。事前に、webで「私は前橋を〇〇特区にしたい!」という市民からの特区宣言を募集したところ、約120もの宣言が舞い込んできました。
「私は前橋をぶた特区にしたい!」だから、まえばし豚祭を開催する。「私は前橋をBBQ特区にしたい!」だから広瀬川のほとりでBBQ大会を開くなど。
宣言者がそれを自発的に行動に移していくのが特区の特徴です。「これをしてはいけないという禁止事項がなかったので、自由な反面、様々なことが起きました。『前橋をさしおさえ反対特区にしたい』と宣言し、『市長と話をさせてほしい』と事務局に提案してきた人もいた」と岡さんは話します。
前橋市街地の中心にある広場は「tokku park」と名付けられ、大きな横断幕が張られました。特区のイベントの多くはここで行われます。「自分の作ったロゴがでかでかと掲示され、ズラリとのぼり旗が飾られた瞬間は身震いした。前橋〇〇部を発足した当時からこの街には青と緑、この2色が似合うと思っていた。自分の思いがやっと実現した。」と藤澤さんは言います。
「前橋スケート特区」ではtokku parkに県内外から多くのスケーターが集まり、「影遊び特区」では、投影されたシャボン玉の影がぶつかり合い弾けるというハイテク影絵が親子連れに大人気でした。上毛電鉄の電車を使い前橋の食や文化を味わう「アートトレイン特区」や伝統野菜だった時沢大根を再び育てようという「幻の大根復活特区」などのユニークなイベントも話題に―。
前橋〇〇新聞の編集長・福西さん
さらに、特区の45日間はタブロイド版の「前橋◯◯新聞」が毎日発行され続けました。制作部隊は編集長の福西敏宏さんと写真担当の藤澤さんの2人に加えデザイナーやコラムを書くメンバーらで構成。夕方取材し、夜記事を書き、深夜から朝方にかけてデザインし、翌日印刷するというハードスケジュールな日々でした。
福西さんは20年間東京の出版社に勤務した後、2008年から群馬の大学の大学院に社会人入学したという人物。「当初、前橋にはよそ者を拒否する雰囲気があった。しかし前橋〇〇部が生まれてから、町の雰囲気が明らかに変わってきた。若者やアーティストが増え、多様性が生まれた。前橋〇〇特区45daysはここ数年のこの町のうねりが結実したイベントだった」と振り返ります。この新聞は、毎日一つひとつの特区を紹介していく構成でしたが、途中から特区を開催する人々にフォーカスを当て、前橋に住む多種多様な人の考えを浮き彫りにさせていきました。
期間中、毎日、前橋〇〇新聞を発刊
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それぞれの道を進み、本来の姿へ
BBQ特区
期間中約5万人の来場者を集め、幕を閉じた「前橋〇〇特区45days」。この成功は翌2016年秋の「maebashi45days」という前橋市独自のイベントへと繋がりました。
同じころ、前橋〇〇部は日本デザイン振興会が主宰する「2015年度グッドデザイン賞」に選ばれました。しかしこの2つのできごとが逆に、藤澤さんを落ち込ませる要因になったのです。
前橋〇〇部が発足して約4年。なんとなくマンネリ感が漂い、発足する部活の数も少なくなってきたこともあり、ここら辺で新しい風を吹き込みたい。さらには、もっと分かりやすい評価が欲しい。という藤澤さんの思いがグッドデザイン賞参加の背景にありました。
「審査に応募したのは自分だったのに、いざ、受賞したら自己嫌悪に陥ってしまった。権威にすがった自分に対して、ダサいなあと。自分がやるべきなのは、メインカルチャーや権威的なものに対してのカウンターを打つことだったはずなのに、一番権威的なものにすがってしまった。新しい風を吹き込むにはほかにも方法があったはずだったのに…。特区もそう。ダサいと批判していた行政では絶対出来ない、遊びと冗談とデザインで街を変えたかったのに、自分自身がソレになってしまった。耐えられなかった」
二つの大きなイベントを経て、「権威主義のやり方、前橋〇〇部のやり方。それぞれ違うがそれぞれの道を進めばいい、前橋〇〇部の本来の姿に戻ろう―」、2015年晩秋、藤澤さんはそう決意したのです。遊びと冗談とデザインで前橋の街を元気にする、それこそが前橋〇〇部。「自由気儘なマイノリティならではの生き方があるはず」、そんな気持ちが、日本全国を巻き込んだ画期的な部活「前橋アイドル部」つまり「ハイタッチガールズ」を誕生させることへと繋がっていったのです。
(文=阿部 奈穂子)
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