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「ひとが輝くまちの学校」はゆたり出版の「ゆたり文庫 地方に暮らす。シリーズ02 ひとが輝くまちの学校」に再編集し収録されています。書籍はネット通販、書店、販売協力店でお買い求めできます。詳しくは本とゆたりをご覧ください。


[地方に暮らす。[ジョウモウ大学編]] 記事数:11

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|第九話|繋がりを再生する場所

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 暮らしの変化とともに失われようとしている人と人、人と街が繋がるコミュニティ。かつては当たり前にあったその繋がりを、もう一度、育てていこうとしている場所があります。
 多くの染物職人が暮らしたとされる元紺屋町。ここにジョウモウ大学がコミュニティスペース「MOTOKONYA」を構えたのは2012年8月のことです。




かつての職人町に生まれたコミュニティスペース

 MOTOKONYAがあるのは高崎市元紺屋町(もとこんやまち)です。昔、「紺屋」は「染物屋」を意味する言葉でもあったそうで、その名の通り、ここは多くの染物職人が暮らすまちだったと伝えられています。MOTOKONYAはそのまちの小さな路地の一角にある、昭和の佇まいが懐かしい木造二階建て。染物店としての歴史をもつ建物は、外見はそのままに中だけをリノベーションし、コミュニティスペースとして再生しました。

 リノベーションを担当したのは、授業コーディネータでもある建築家・橋本薫さんです。使う人が目的に合わせて工夫を加えられるよう、あえて「可能性」を残したつくりにしたそうです。また、染物店だった頃を知る近所のお年寄りにとって、ここは昔を懐かしむ場所でもあるはず。そうしたまちの人たちが親しみを感じ、気軽に立ち寄ってもらえる場とすることも、設計の際、大切に考えたといいます。

 目指したのは「誰でもフラッと入っていける場所」と橋本さん。入り口の足下の、ちょっとユニークな印象の人工芝はあるメッセージを伝えるもの、「実は公園の緑をイメージしたものなんです」と橋本さんはいいます。子どもからお年寄りまで、MOTOKONYAが様々な世代の人たちが自然と集まる「公園」のような場になってくれたら。鮮やかな緑色には、そうした想いが込められていることを、教えてくれました。






人が魅力を創る

 ジョウモウ大学は、ここが人と人が繋がりコミュニティが生まれる「きっかけの場」となるよう、スペースを低額の利用料で貸し出しています。週末はイベントやワークショップが行われ、平日は定期出店している店もあることから、これまでただ通り過ぎるだけだった通りは、目的を持って人が訪れる場所へと、少しずつ変わりつつあります。

 大学の授業の企画ミーティングや、この夏からは大学院の授業も開催され、ジョウモウ大学の拠点の場でもあるのですが、スペースの運営については大学は前面に出ず出店する人たちを見守るというスタンス。実際に人が訪れたいと思う魅力をMOTOKONYAにもたらしているのは、ある意味、ここを使い、創る人たちです。







「地元の大学生が開くカフェ」

 辺りにカレーのスパイシーな香りが漂うのは水曜日の夕方。高崎経済大学に通う学生さんが『café neuf』をオープンします。学生時代に「何か」やってみたかったという代表の池野さん。MOTOKONYAの存在を知り所属するゼミで呼びかけたところ、当時2年生の9人が集まり、このカフェを始めました。

 立ち上げメンバーの多くは県外出身。高崎との繋がりはありませんでしたが、カフェを始めたことで「近所の人やおじいさんがふらっと立ち寄ってくれたり、普段の大学生活には無い出会いがあって、素敵だなと感じています」と池野さん。
 11月から運営は後輩の手へ。同じゼミの現2年生が引き継ぐことになっています。ここで多くの経験をし出会いもあったという池野さんは、後輩たちも同じようにこのカフェを通じて成長してくれたら、と考えているそうです。



 「つくり手とつかい手が繋がる場」

 毎月第一金曜日にクラフトの店『flatter』を出店するのはイナヅカさん。並ぶのは材料にもこだわった手づくりの作品たちです。物づくりをしていくなかで、作品を実際に見てもらい、つかう人と繋がることも大切にしていきたい。ここがそうした場になれば、と出店を決めたのだそうです。建物の落ち着いた佇まいをとても気に入っているというイナヅカさんの手で、MOTOKONYAは月に一度、センスのいいギャラリーのような空間に変わります。

 仕事と子育てをしながらの出店ですが「月に1回だけなのでそれほど大変ではないんですよ。今は私一人ですが、クラフトのイベントで知り合った方たちとお店づくりをしていけたら」と話していたイナヅカさん。その通り、10月には器やカフェを出す店も加わり、仲間と一緒に表情豊かで魅力的な場へ育てていこうとしています。



 「まちの八百屋さんの朝ご飯」

 朝、MOTOKONYAの前は出勤を急ぐ大人たちが行き交い慌ただしい雰囲気。そこへ「おはようございます」と明るい声が聞こえてくるのは、週の始まりの月曜日。近くで八百屋『すもの食堂』を営む金井さんご夫婦が、朝ご飯の店を出しています。
 朝ご飯を出そうと思ったのは、心や体の疲れを月曜の朝にリセットして、また一週間頑張って欲しいという想いから。そして実は、意外にも「朝は大の苦手でした」という奥さんの智美さんが、生活リズムを改善したいと思ったことも「朝ご飯だった」理由なのだそうです。

 朝ご飯の中身は、八百屋で扱う群馬の有機野菜などを使った手づくりのおかずとお粥のセット。おかわり自由のお粥は5杯ペロリと平らげる人もいるそうです。常連さんも増え、ちょっとした会話から意外な共通点が見つかり、お客さん同士が知り合いになる、そんな光景が見られることも。「ごちそうさま」と会社へ出かけていくお客さんの背中に「行ってらっしゃい!」と声をかけるご夫婦。せわしない朝の時間のなかで、ほっと心が和む、働く大人たちの朝の憩いの場になりつつあります。




人と街の記憶を繋ぐ場所

 ここにMOTOKONYAを構えることができたのは「縁」が大きかった。立ち上げ当時に詳しいジョウモウ大学の大澤博史さんは、そう感じているといいます。古い建物をリノベーションして再活用する動きは、街の景観を残しながら建物に新しい価値をもたらす方法としてよく耳にしますが、古い建物だけに、なかなか家主さんまで辿り着けない、実はそんな大きな壁があるのだそうです。


 建物は染物店を畳んでから十数年もの間、戸を閉ざしたまま空き家となっていました。今回家主さんと繋がることができたのは、偶然、メンバーに接点をもつ人がいるという、思いがけない「建物との縁」があったからでした。大澤さんは現在、街の空き家を再活用する取り組み(「まちごと屋」)を行い、その難しさを知っているだけに、この縁が無ければ諦めていたかもしれない、と振り返ります。
 
 取材中、建物が街に残る意味を、改めて思う出会いがありました。以前その人のご実家は呉服店を営み、MOTOKONYAが染物店だった頃、白生地をここに卸していたのだそうです。子供の頃はたくさんの染物店があって、染めたものを川で洗う人の姿がごく当たり前に見られたんですよ、と今はもう無い街の姿を教えてくれました。
 場所があるからこそ、思い出される記憶。MOTOKONYAは人と人との繋がりが再生する場であり、街の記憶をこれからに繋いでいける場なのかもしれません。(MikiOtaka)

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