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第二話 小林雄一さん 西山奈津さん

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この日はお料理上手の西山さんが作ってくださったキッシュとパスタをのせて。うつわの表情が食卓にニュアンスを与えます

 深い緑色の織部(※1)の注器。力強い形でありながら 自分からとことこ歩き出しそうなユーモラスな雰囲気がただよう「サケノマシ」と名付けられた器の作者は、西山奈津さん。織部、そして焼き物のなかでもことさら手間がかかる黄瀬戸(※2)の作品を作り続けています。一方で、伝統的な益子の釉薬を使いながらもダイナミックで現代的な造形の焼き物を作っているのがご主人の小林雄一さん。お二人が作陶をするのは緑豊かな芳賀の工房でした。




サケノマシ

 東京生まれの西山さんが初めて陶芸に触れたのは大学時代のこと。「もともとは演劇をやりたかった。高校も演劇科でした」という西山さんが進路として選んだのが駒沢女子大の空間造形学科。役者であると同時に、舞台美術などを学ぼうと思ったからでした。ところが入学してみたら、そこは舞台とは関係のない建築やインテリアについての学科だったそう。「あっ間違った!と思いましたね」と明るく笑う西山さん。「中退も考えましたが親に押しとどめられました。授業に織物や陶芸があったので、学外の劇団に所属しつつそれをやってみようと思って」
 その時陶芸の授業を担当していたのが、のちに西山さんの師となる高内秀剛さん(※3)でした。
 「高内さんがすごい方だっていうのも全然知らず、焼き物のことも知らないところから入って週一回の授業を受けていました。でも二年生のある日、放課後一人で黙々と窯詰めをしているときに突然“これを仕事にしたい!”と思う瞬間が来たんです。そうしたらその日のうちに、高内先生に“卒業したらうちに(修行しに)来ないか”とお声をかけていただいて」
 週一回の授業でありながら西山さんのなかに素質を認めた高内さんが声をかけるそのほんの少し前に、自ら閃くように陶芸への道を意識した西山さん。なにか不思議な引力を感じます。放課後直接のスカウトを受けた西山さんは、卒業後益子に移り住み、6年間修行。2012年結婚とともに独立しました。





 ご主人の小林雄一さんは芳賀生まれの芳賀育ち。やはり、初めから陶芸を志していたわけではなく「高校を卒業してパソコンのプログラマーになる勉強を専門学校でしていました。室内で朝から晩までソフトを作っていたんですが、それがすっかりいやになってしまって」。たまたま求人情報で目にした製陶所に応募。「最初は営業職でした。作ることが好きだったので陶芸を見ているうちにやりたくなって親方に職人になりたいと申し出たんです」。その後別の製陶所の職人として日々膨大な仕事をこなし、2011年に独立します。
 結婚して工房が1つになり、お互い驚いたことが作業の仕方の違いだったそう。
 西山さん(以降「西」)「ゆうくん(小林さん)がわたしの三倍くらいの速さでろくろを挽いているのを見てびっくりしました」
 小林さん(以降「小」)「僕は製陶所勤めだったのでスピード重視だった。なっちゃん(西山さん)は作るものへのこだわり感がすごかった。一個一個時間をかけてきれいにつくってるのを見て、ああ自分はこれじゃいかんと思いました」。作業場は一緒でも、つくりから焼成まではまったく別。特に西山さんは黄瀬戸を手掛けているため、同じ窯で同時に他のものを焼くということはないそうです。
 西「“黄瀬戸は、やると貧乏になるぞ”と言われるくらい、難しい焼き物なんです。材料の組み合わせ方もそうですが、なんといっても焼成が難しい。多くの焼き物は、火を入れてからトップ(一番高い温度)にもってきて火を止めて終わりですが、黄瀬戸の場合はトップにきてから徐冷(さます)の間も火を止めないんです」
 とけた釉薬はガラス質になります。黄瀬戸でだしたいのは 溶けているけど溶けきっていない質感。油揚手(あぶらげで)といわれる肌合いを目指し、その質感が黄瀬戸で一番大事なところなのです。10度温度が違うと、もう仕上がりが違ってしまうのだそう。窯焚きは全部で47時間という長丁場。温度の落とし方でも表情が変わるので、鮮やかな中にも深みのある黄色を出すため、かなりの時間を費やして研究を重ねているといいます。
 小「二人で、こうじゃないああじゃないといいながら」
 西「材料も、天然の灰を使っているので同じように焼いてもちょっとしたことで変わってきたり」
 (二人で)「最近やっと納得いく仕上がりになってきたんですよ」
 作業は別といいながら、互いの作品が向上するための研究と手助けは惜しみなくしている様子がうかがえます。




*N.K CERAMICA





 個人作品は別々に完成させるおふたりが二年前にたちあげた「N.K CERAMICA」。西山と小林でつくる陶器、という意味でつけた名前。それぞれのアート性やダイナミックさをつぎ込んだ作品とは別に、親しみやすく何をのせても映える普段使いとしての食器を二人で制作しています。益子の土100パーセント。いろいろな色のバリエーションを試した結果、黄・白・青の三色で展開。親しみの感じられるきれいな色合いでありつつ、カップやプレートには陶器としての土味が現れています。





 「日常づかいの器にも、土の素材感や焼いて出る表情を感じてもらえたらと思っています」
 N.K CERAMICAの試作にも、多くの時間を費やしてテストしたお二人。食器以外の作品には益子の新福寺から採ってきた原土を時間をかけて精製して使い、釉薬の灰は餅つき用の臼と杵を使って細かくするなど、制作過程全般において工夫と手間を惜しみません。
 若い二人が取り組んでいるのが織部や黄瀬戸、益子焼きといった「伝統」のもの。そのぶん決まり事も多く、年配の方や焼き物好きの人たちから大きくダメ出しをされることも多いのだとか。「はじめは、いろいろな意見に左右されたり、いちいち落ち込んだりしていました。でもだんだんに鍛えられていって。今では伝統も大切にしつつ、作品を正解に近づけるより自分の“好き”を大切にしたいと思うようになったんです」と西山さん。
 ひとりだったら心折れて、好きなものを追及できなかったかもしれないけれど、「好きなことを極めればいい」という感性の近いお互いの存在が前に進む原動力になっていると異口同音に言います。 
 そして「高内秀剛さんの最後の弟子」ということでも知られる西山さんが修行時代に学んだのは、妥協しないモノづくり。「高内先生は“これでいいや”がない人。だめだったら何度でも焼く人。何度でも作り直す人。そういうのは作家としてすごく尊敬すべきところで一番勉強になりました。迷っているときは必ず先生のことを思い出します」
 最後に西山さんに、役者時代はどんな舞台に出演していたのかお聞きしたところ、それはミュージカルだったとか。「今でも工房で歌いますよ。この間も土練機をまわしながら思いっきり歌っていたら、宅急便の人がいつのまにか来ていて、後ろで困っていました」





 二人の弾ける笑顔で、工房が明るくなります。出会ったころよりもずっと、日々焼き物についての会話を交わすという小林さんと西山さん。ああでもない、こうでもないと焼き物論を戦わせながら壊しては作り、納得いくものを求めて二人で高みを目指しているのです。(しばた あきこ)



※1 織部…美濃出身の武将茶人 古田織部の名を冠した焼き物。ふつう織部というと青織部を指す。鉄絵具で文様を描いた部分に長石釉を掛け、それ以外には銅緑釉(織部釉)を掛け分けたもの。
※2 黄瀬戸…岐阜県美濃発祥の焼き物。比較的薄づくりの素地に木灰釉を掛けて焼成し、黄色に発色した陶器をいう。
※3 高内秀剛…1972年「日本伝統工芸展」に初入選となり以降、受賞や出展など国内だけではなく海外でも活躍されている。織部、灰釉、象嵌などを中心に抽象的な表現を絡め展開している。

参考文献 「よくわかる日本のやきもの」仁木正格


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