[ましこのうつわ] 記事数:7
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大谷石の肌合いを思わせる質感と色の糠白(ぬかじろ)釉、スモーキーなニュアンスのある緑がかった糠青磁(ぬかせいじ)釉…益子の伝統的な釉薬をまといながらもその形や文様は新しく、そしてまぎれもなく鈴木稔さんの作品だとわかる器。
鈴木さんの作品からは、まるでどこかの歴史ある建物の一部を切り取って器にしたような重厚感、存在感。そして器の輪郭からはみ出すようなスケール感がにじみでています。また、手間をかけて作り上げられたピッチャーやポットなどの優雅な曲線は実用的な道具でありながら、まるでオブジェのようにも思えるのです。
陶芸をはじめたのは、早稲田大学一年のとき。「衝撃的な出会いがあったわけじゃないんです。趣味の油絵をやろうと訪れたサークルで陶芸もやっていたので、面白そうだと思って始めた。いざろくろをやってみたら、なかなかうまくいかない。ちょっとでも集中を切らすと失敗する。楽しいというよりはうまくできないのが悔しくて、むきになってはまってしまったという感じです。」子供時代はやんちゃな姉と弟にはさまれで、ずっとまじめな優等生だったという鈴木さん。自分がどこに向かい何をしたらいいのか、悩みの多い高校時代を過ごし、大学に入っても何をやっても熱中できずにいたことが嘘のように、ろくろに向かっていると時間を忘れて集中できたといいます。
ほとんど独学でめきめきと腕をあげ、学生でありながら作るものはどんどん売れる。プロになることを意識した鈴木さんは その方法を探し始めます。「大学後半から、東京で個展をやっている作家を訪ねたり、バイクにテントを積んで瀬戸や常滑や、なだたる日本各地の窯業地ほとんど全部を巡ったりしました」。卒業後半年ほど原宿の陶芸教室に勤めた後選んだ行先は、大学の合宿でも馴染みのあった益子でした。
益子でも陶芸教室の助手をしながら作陶する日々。まわりには修行中の同世代がいて、毎日がとても楽しかったと言います。「でもそのうち、学生生活の延長のようなこの環境に身を置いていたら、自分は一生変われないという将来がみえてきてしまった。ここで一度環境をリセットして、全国に通用する作家のもとで勉強し直さなくてはと強く思いました。」
同世代の仲間が独立を考え始める年になっての弟子入り。はやる気持ちもありながらも、自分の力量と陶芸家としての未来を見定めて 高内秀剛氏のもとで学び始めたのが29歳のときのこと。ここから4年半、ものをつくるということにじっくりと向き合います。
「それまでは作ったものをお金に換える方法論で作陶していたと思います。右から左に作っていかないと、生活できませんから。でも、師匠のものづくりへの姿勢は違った。一つの物にすごい執着心と集中力を注ぎこむ。いい加減なものは絶対に作らないし、誰もが作れるものなど作ってはいけないと」。ろくろなど相当な腕をもって入門した鈴木さんですから、順風満帆の弟子生活だったのではと思いきやそうではなかったそう。「何を作っても、ひとつひとつの形についてお前本当にこれでいいのか?と言われる。筆をつかった装飾もやらせてもらったんですが 絵付けなんてやったことがないから、こんなんでいいかな?というのを描いて出す。すると、何作っていいかわかんないからってこんなの描いちゃダメだって怒られる」。そんな日々だったそう。
「あるとき、後から入ってきた弟子が、小学生みたいなスイカの絵をごはん茶碗に描き始めたんです。こんな落書きみたいな絵、怒られるんだろうなと思って見ていたら師匠がやってきて“…これは凄い”と。そして“鈴木、お前にこんなバカバカしい絵が描けるか?”と(笑)」。自分の中のカッコいい物しか出そうとせず、師匠の顔色を窺うように作る、まじめな優等生。しかし高内氏のもとで過ごすうちに、自分のなかの幼稚な部分、人に受けたいといういやらしい部分、かわいい部分がだんだん見えてきたといいます。「そうやって自分をさらけ出していかないと、本当に人の気持ちをつかむものなんか作れないんだということを師匠は言いたかったんだとわかってきました」
96年に34歳で独立。
今や益子を代表する作家として引く手あまたの鈴木さんですが、まわりにはいつも若い作家たちが集まり、気軽に「みのるさん」と名を呼び、慕っています。
「独立したてのときはこんなんじゃありませんでした。美術工芸の世界で上を目指すあまり、近寄りがたい雰囲気を出していたと思いますよ。でもあるときふとまわりを見てみたら、若い世代が交流しながら楽しそうに作っていて、ああ、こういうのはいいなと思って」。2009年の日韓交流展(日本と韓国の若手作家交流展)に参加するところから、積極的に周囲との交流を始めます。
それと前後して、2007年にろくろでの作陶を打ち切り、すべて「型」で作ることに移行。陶芸といえばろくろ、そして食器作家のほとんどがろくろ中心でそこに型を併用していることを思うとこれはとても大きな決断です。
「同世代でデザインやインテリアが好きな人は沢山いるのに、日本の焼き物には興味がない人が多い。デザイン的にもプロダクトと言う考え方からも、型を使って作陶することがそんな人たちに自分の焼き物を好きになってもらえる切り口なのではないかと思ったんです」
型という手法が作り出す独特の佇まい。型の合わせ目にあらわれる線を削り取ってしまわないのもまた、特徴と味わいになっています。
型の手法は、たとえば湯飲み茶わんなら、縦に三分割された石膏型の内側にタタラの粘土を押し付け、それを合体させて成形する。言葉にするとそれだけなのに、実際これをやってみると実に難しく、鈴木さんは全国各地で型をつかった作陶のワークショップを開いており、わたしもこれに参加してみたのですが、細心の注意を払ったにも拘らず、型の合わせ目にはシワが寄っていたのでした。ただ、そこには不完全ながらも鈴木さんが伝えようとしている器の曲線、大きさ、たたずまいが再現され「型」の面白さと実用性に気づかされました。
「なぜ益子焼で型をつかうのか、最初は誰も肯定してくれなかった。だから自分から外に出ていって、ワークショップなどでその良さを知らせたいんです」
また、釉薬も益子の伝統的なものを使っているにも関わらずやきものの表面を流れ落ちるその表情が趣を異にしています。「登り窯は、本来数多くの焼き物を少ない薪で焼くための窯なんだけれど、そうではなく薪を沢山使って灰の影響をたっぷり受けて、釉薬ががっしり焼けて変化ができる、そんなものを作ってみようと思いました。人のやっていないことをやってみたらどうなるか、というのが自分の原動力かもしれません」
ろくろのスピード感とはまた違った、型から作られた器の存在感。そして伝統的な釉薬を使いながらも焼き方を変え、そこから現れる新しい表情。まさに益子焼を鈴木さんの手法で再構築したものが、多くの使い手に受け入れられているのです。
登り窯から出てきた沢山の器を拝見したあと工房に戻ると、鈴木さんの机の上に、作りかけの複雑な模様をほどこしたオブジェがありました。大昔の生物の甲羅のような、手に取ってみるのを躊躇するような神秘的な造形。
「いま食器以外のものを作ることにすごく興味があるんです。鑑賞するもの、飾るもの、身の回りにちょっと置いておくもの…。こういうものも、これから徐々に発表していきたいと思っています。」
そして目を上に移すと、なんともあたたかくかわいらしい表情の聖母子像が。それはいつまでも飽きず眺めていたい、やすらいだ表情をしていて、またひとつ新しい鈴木さんがそこにいるのだと思わせられたのです。
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2tree open house
宇都宮の平成通りにあった2treecafe。オープン7年目の2015年、ここからほど近い東横田に あらたに名称を2tree open houseとして移転したのが 倉本祐樹さんと芙美さんご夫妻の営むカフェです。お店で使う食器のほとんどは鈴木稔さんのもの。オープン当初からずっと使用しています。
ご主人の祐樹さんは、20代前半に勤めていた会社をやめて知らない文化圏に身を置いてみようと、南インドに旅立ちました。農村地帯でボランティア活動をしながら現地の人たちと同じ生活をする毎日。毎朝水くみからはじまり、その水をボイルして飲み水にしたり、井戸で洗濯をしたりとひとつひとつのことに手間と時間をかけ、その行為のなかに学びがあることに気づいたと言います。
カフェを運営するにあたって 日々のことをまわりの人たちと一緒に学べる場作りをしたいと、これまで2treecafeで薬草を学ぶワークショップ、サンダルづくり、ヨガなどさまざまな催しを企画してきました。またカフェライブも数多く開催。そこでできたミュージシャンとのつながりを基に、「木を植える音楽プロジェクト」(2treecafeでライブをしてきたミュージシャンの楽曲があつめられたCDを作成し、一枚売り上げるごとに10本のクロマツの苗を東日本大震災の津波で被災した福島の海岸に植えるプロジェクト)を発足させました。
移転した2tree open houseは広い畑に囲まれた一軒家。築60年ほどの風情ある古民家は倉本さんご夫妻のご自宅も兼ねています。
鈴木さんのお皿に盛りつけるランチを作るために倉本さんがまずしたのは、その畑に出ていって自分たちで育てている野菜を収穫することでした。
「稔さんの器を使うまで、作家ものの器についてよく知りませんでした。益子のヒジノワ(※)をきっかけに稔さんと知り合って器を使わせていただいたら、それがすごく良かった。野菜でもなんでも盛りつけると馴染む。食材の配置や組み合わせをうけとめて、料理をひきたたせてくれるんです。そして、使う人のことをよく考えて作られていると感じ、器を使って感動しました。」
話しながら、手際よく野菜を収穫していきます。みるみる籠が新鮮なグリーンでいっぱいに。そのままキッチンに戻って野菜を洗い、揚げたてのコロッケやナスの味噌田楽と一緒に鈴木さんの器へもりつける倉本さん。目にも美しい一皿ができあがりました。
「毎朝起きたら、まず子供と一緒に畑にでて世話や収穫をします。稔さんの器は今の生活の食卓にもとても馴染むんです。どこか凛としていて和洋問わず料理をうけとめてくれる。初めて使ったときの感動が今も続いていて、使うたび背筋がのびる思いです。そして、想いをこめて作られている器だからどんなに欠けても継いでなおしてずっと使っていきたい。しっかり作られていて、そうそう壊れたりはしないんですけど笑」
新しく場を移した2tree open houseでは、定期的にワークショップなどを開催しながらおいしいごはんを囲んでの人と人との有機的なつながりを深めていきたいという倉本さん。
「人とつながることで、もっと生活が豊かに心地よくなると思うんです。食べ物には人をつなぐ力があると思うので、カフェは学んだりつながったりする場として最適だと思います。」
被災地の海岸でクロマツの苗を育て、自家菜園で野菜を育て、芙美さんとともにお二人のお子さんを育て、カフェで人とのつながりを育てる倉本さん。2tree open houseでも、大きな樹の下のような豊かなつながりの場が育っていくことでしょう。(しばた あきこ)
栃木県宇都宮市東横田町379-1|Tel.090-7373-6473
blog|http://2treecafe.jimdo.com/
カフェのオープン日、ワークショップの開催日などは2tree open houseのブログなどでご確認ください。
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