わーいイノシシだ。
いや、ウリボウかな。
いやいや、そんなことはどうでもいいのだ。
私が大好きな、加賀棒茶をいただきました。こんな可愛いパッケージのものもあるのですね。
イノシシを見ると思い出すのが、筑波山の近くにある某テーマパークでのこと。
それは、猪年の年初だったと記憶しているのですが、そのテーマパークの入り口でお出迎えしてくれたのが、イノシシたち。
そのなかでも、ひときわ存在感をアピールしていたのが、巨大なメスイノシシ。
その名も
とみ子
現代っぽくない感じ、なぜか親近感を覚えたのはなぜでしょうか。
しかも、このとみ子ったら、あごの下をなでられるのが好きだとかで、なでてあげると、犬のごとく、ごろ~んとおなかを見せて降伏状態に。
イノシシも飼いならされるとこうなるのか、とまたひとつ知恵がついたと思ったものでした。
だいぶ、脱線しましたがお茶のはなし。
そのときどきによって変わるのですが、私の心の余裕の度合いを表すバロメーターがあります。
よくマニキュアを塗っていた頃は、爪、なんてのもありました。
心に余裕があるときはマニキュアが少しでもはがれたら、すぐにメンテナンスをして、常にきれいをキープ。逆に、心に余裕がないときは、マニキュアがはがれようとも、しばらく放置して手先も荒れていたりと、指先に無頓着になりがちでした。
最近は、お茶なんだと気づきました。
緑茶、中国茶、ハーブティーに紅茶。お茶の類は全般的に好きで、日常的に水分補給するのは、お茶なのですが、心に余裕がないときは、自分でお茶を淹れるという行為をしていないことに気づきました。
お水をぐびぐびそのまま飲むとか、ペットボトルのお茶を飲むだとか、最近すっかりお茶を淹れていませんでした。
今月から息子は保育園に通い、私も本格的に仕事に復帰。
自分ではそんなに変化があったようには思っていなかったのですが、お茶ひとつをとってみても、やっぱり余裕がなかったのかもと立ち止まって思いました。
お茶を淹れる。
その行為をすること自体が、心にゆとりを与えてくれるような気がします。
忙しいときこそ、ゆったりとお茶を淹れてみよう。
そこから余裕って生まれるかもしれません。
Trackback(0) Comments(2) by 安島夏|2011-04-27 21:09
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