水戸の市街は、太平洋戦争の空襲で焼けてしまったので、
昔の建物があまり残っていません。
そんな水戸の数少ないレトロでロマンを感じる建物、
とくに現在でも使われている建物をご紹介します。
※水戸に住んでいる方にとっては見慣れた建物ですね・・・。
※最後の二館は保存・鑑賞の対象で、使用されてはいません。
※今回、撮影を逸した建物やお店は、またの機会に。
三菱東京UFJ銀行水戸支店 1909年(明治42年) 泉町
クニ整体 末広町
木村屋
なつかしい味のパンがある、なつかしい店構えのお店 南町
泉町會館 泉町
水道配水塔(現在も機能している) 1932年(昭和7年) 北見町
ほんとうは正面から撮影した方が、くびれた下部が見えて美しい。
近くで見るとレリーフが美しい。
(数年前に彩色されたらしいけれど、これが建設当時の色だった?
詳細をご存知の方、教えてください)
旧茨城県立商業学校 玄関部分 1904年(明治37年) 新荘
ぼくの小学生時代には、図書館として使われていて、野球の帰りにときどきバットやグローブを持ったまま中に入りました。みんな勉強しているので、ぼくたちは、ひそひそ声で話したけれど、迷惑でしたよね、きっと。
(じつは、ぼくの記憶では、図書館は2階建てでした。ひょっとすると図書館を壊して、これを移築した??? あるいは、ぼくの記憶違い? 真実をご存知の方、ぜひ教えてください。このままでは、脳が気持ち悪い‥‥)
旧水海道小学校本館 1881年(明治14年) 緑町(茨城県立歴史館内)
リアルにつながりがある人たちから、ブログのコメントではなく、直接メールや電話がきます。
月刊誌にエッセイを連載中のJちゃんも、
新宿うまれくんも、(しんじゅくそだちさんはコメントくれたけど)。
その中から、
大学同級のK氏(都市計画で世界的に活躍中)からのメール を紹介します。
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(前略) 現在インドに海外出張中で余裕がなく(中略)
だれかの言葉ですが、日本は発展著しいがはたして受け継がれる”場”をもっているだろうか?ヨーロッパは街々角に記憶が残されている(街並み 保全)が、一方日本はだれでも子供時代の記憶と風景を見失い、次ぎへと受け継ぐ財産を失っているのでは?との批判内容です。
昔からの風景、文化、経済と豊かさを求めて変化(工業製品の新製品の短いサイクルと類似)してきて、それをよしとしてきた日本人ですが、今後 もそれを武器とするのかヨーロッパのように固辞していくのか、里街が生き残れるのか、今後の日本人の在り方と結びついているように思えます。
これも資料ですが、
日本人(木の文化)の保全に対する考えは欧米(石の文化)の保全と思想が違い、端的には「伊勢神宮」は保全されて継承されてきたとは言え、欧 米からすると「形」あるいは「精神」は継承されているが、実際の木造構造物は何度も一新されている。この考え方は、欧米にない。
里街 あるいは すて樹に関係していると思いました。
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Kくん、忙しい中 (それもインドから!) メールをくれて、ありがとう。
ぼくも、そろそろ本業に集中しなくては!
もうすぐ、女子美術大学(杉並校舎)でヒーリング・デザイン概論 (3人で担当)の講義がはじまります。
プロジェクターで多くの写真や図表を映す、楽しい講義を計画しています。
水戸の魅力についてもヒーリングデザインの視点からちょっと触れる予定です。
・1 〜 5 週/山野教授 (医療空間とヒーリング アート・デザイン)
・6 〜10週/ヤマザキ教授 (光・音・色・時とヒーリング アート・デザイン)
・11〜15週/ねもといさむ (遊び・おもちゃ・造形活動とヒーリング)
このブログの本来のテーマ「子ども/アート/おもちゃ」に戻って、
講義のハイライトを写真で楽しくお見せできるかな‥‥とちょっと考えています。
でも、どうなるかは成り行きしだいということで。
しばし「水戸」から頭を切り替えて、本業に専念します。
今後とも、どうぞ、よろしく。
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●コメントまってまーす。
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Trackback(0) Comments(12) by ねもといさむ|2012-06-22 15:03
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