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[雨は遠いそらの上] 記事数:109

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大井神社

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国道123号線を北へ向かい、渡里町の坂を下って高速道路をくぐると、西を丘陵と、東を那珂川とに挟まれた平らな低地の田園風景が広がる。国道を一本外れて西の丘陵沿いの道を走れば、大井神社が鎮座ます丘の上へと至る階段と鳥居が見えてくる。今日は大井神社にお邪魔することにいたします。

鳥居の脇にある御由緒をじっと眺めてみましょう。
第十代崇神天皇の時代(紀元前の話だ)、この地(那賀・仲)にはびこる賊の平定のため肥の国(現在の佐賀・熊本)から派遣された建借間命(たけかしまのみこと)が初代仲国国造となり、この神社を創建し天照皇太神を奉った。奈良時代には建借間命が奉られた(このとき有力であった宇治部氏によって神社が創建されたと思われる)。そんなわけでこの神社の祭神は建借間命です。
また建借間命はもとは肥の国の意富臣(おふのおみ)という一族の人で、これが訛って「おおい」となり、やがてこの神社の名前となったと考えられる(ただ御由緒には、もとは「意富比(おほひ)」神社と呼ばれており、これが「大井」に変わったとされている)。さらに「意富」という字が変化して「飯富」となり、現在の地名になったともいわれている。水戸藩主光圀公の崇敬を受け、また斉昭公の代には現在の拝殿が造営された。

じつはこの大井神社、「日本の神々 神社と聖地 11 関東/谷川健一編」を紐解いてみると、その成り立ちから発展にいたるまでの経緯が非常に複雑であることがわかる。肥の国という遠い異国からやって来た一族が主役であることも含め各地の一族の動きやそれとの関連、当時の地域情勢、さまざまな文献による別解釈など多岐にわたる理解が必要であり、ぼくのようにちょっと神社良いんじゃん?なんつって神社巡りをしているような阿呆にはいささか荷が重い。なので興味のある方は上記の本を手にとってみてください。

  

歴史に重みがあるとすれば、人が集まったり動いたりすることによって生まれる点と線、それらが時間というページを縦横無尽に塗り潰していく。そして積み重ねられていくページその重層性そのものである。あるいは点線が引かれ、それが濃いがゆえに見えなくなる点線もあろう。それを注意深く他の点線との連関も考慮しながら慎重に辿っていくこと。散漫な時間空間がその時間そのものによって埋め尽くされ、凝縮され同時に膨張しぱんぱんに広がっていく。語られることと同様に、語られないことこそ重要だ。われわれにとって一般に語られる歴史とは、最大公約数的な、あるいはふるいにかけて残った大きなダマ、消しゴムを当てて消えなかった点線のようなものである。手探りで進むには、とりあえずのマイルストーンがあると非常に助かる。いわば暫定的なものだ。われわれ一人ひとりが、より自らの真実に近づくための。
つまり、われわれが一般に語る歴史は「それが歴史として語られているということは事実だが、それが事実とは限らないし真実でもない」ということだ。だからこそ私たちは、語られなかったこと語られないこと、自らが語らないこと、これらにすすんで耳を傾けよう。被害者救済だとか、地球のためのエコだとか、そういうわかりやすいことではない。耳を塞ぎ口を閉ざし目を臥せ、歴史に重い蓋をしているのは私たち自身なのだ。歴史は人為的に鋳造されるものなのだ。きこえない声をきく、それは人の心そのものをかたちづくっていくだろう。そして世界の、人生の重層性を語ろう。起こったことは起こったこと、そして起こらなかったすべてのことに、哀しみと愛と感謝を。それが、いま起こりつつあることへとフィードバックし、私たちはまた少しずつ前進していく。
いま私は考える。家に籠もり、白けた空を見上げながら。あれっ、これってニート?おれニート?ていうかニートって何?ふるいにかけたのけ?ふるいにかけるのはおれだ!部屋にはビール缶とウイスキーの瓶と空の缶詰とティッシュとかでん六チョコとか空のCDケースとか、そういうゴミ類が散乱している。鼻糞や髪の毛なんかも。さまざまな書籍類、道路地図、DVD(非アダルト)、カメラのレンズ、掛け軸、スピーカーやら日本国国旗(旗日に揚げる)やら百円札天保通寶50000ルピー一万円札やらパンやら。家に籠もって考える。まずは部屋の片づけをしないとはじまらんだろう、と。偉そうにものを言っているバヤイではない。といみじくも思う。俺ニート(笑)。嘘です。で、大井神社。歴史は人為的に鋳造される。神社巡りをしているおれには皮肉な言葉だが、そうではない。ぼくはマージナルな人間であり、ふたつの歴史のあいだを行ったりきたりするのだ。時間によって編まれた歴史と、人によって編まれた歴史。働きながら、心はニート。みたいな?やっぱ思いつきで文章を書いていると行き詰るな~。
  
大井神社。
鳥居をくぐるとはるか上の本殿へ続く長い階段。の前に賽銭箱が置いてある。本殿まで上がるのは難儀だという人にかわりにここで参拝してもらおうということか。以前この神社に来たときに、バスから降りて来たおばあさんと出会った。おばあさんはここで習慣化しているような手つきでお賽銭をちゃりんと入れると、階段をゆっくりと登っていったのだった。この神社は境内が広く、参道も途中で枝分かれして奥の民家にまでつながっていたりする。

階段を上がっていくと左手に、手水舎と境内社がある。「意富比(おーい、とルビがふってある)弁財天巽神社」とある。そのさらに上には大木の根が空洞をかたちづくっていて、「女化稲荷神社」も。多くの境内社が祀られているのもこの神社の特徴だ。
さらに階段を登れば拝殿が見えてくる。
  

柱を黒く塗られてきりっとしたかっこいい拝殿である。本殿はオーソドックスな一間流造。杉の大木が何本も立っていて、重厚な雰囲気が漂う。不思議な境内社らしきものもある。万歩杉などもあり、歩いていて飽きない。境内は広いことにくわえてとても手入れが行き届いていて、気持ちの良い空間である。ゆっくり歩いてみたい。

  
階段を降り文字通り下界に戻ってくれば、眼前遠くには国道と高速道路、そして一面陸稲畑。いまの季節には黄金色に輝いている頃だ。風に揺れる稲を眺めながら、土手に座っておむすびでも食べて過ごしたい。そんな枯れた希望を抱きながら屁をこいていたら、いつの間にか秋になってしまったのですね。空の青がくっきりと冴え渡り、蝉の声が消えていく。哀しい。うら寂しい。
  
  
  
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↑さあて、観瀑台も完成したし、袋田の滝に入ってみんなに手を振りまくるぞ~笑。町長は青ざめてましたけどね
  

» Tags:神社,

Trackback(0) Comments(4) by 雨|2008-09-22 16:04

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