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[雨は遠いそらの上] 記事数:109

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福島浜通りの思い出

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当ブログ最終の更新は2011年3月現在、昨年秋、福島県福島市飯坂町の「赤川滝」を訪ねたものである。この日ぼくは、いつもの「近場をぶらぶら日帰り旅」をちょこっとだけグレードアップさせた「ちょっと遠いところまで車中泊旅」の2日目の宿を探しに、車を東南へと走らせた。ぼくはこの日、福島の最北端まで足を伸ばしていた。

 
のんびりとした田園風景の中に静かに集まる飯坂温泉。まわりを囲む山々の鮮やかな紅葉を眺めながら、かの有名な万世大路である国道13号を南へ走り、そこから国道4号へ出る。吾妻連山と福島県庁の雄大な眺め(それはぼくには奇跡的な景色に見える。毎日遠く眺めながら仕事が出来るなんて、何と贅沢なことだろう…と)を楽しみながら、R4を逸れて蓬莱橋を渡り、しばらく阿武隈川の穏やかな流れを右に見ながら南下し国道114号に入る。このあたりに来るともう静かな里山の風景である。先ほどの雄大な磐梯吾妻を思えば、侘びしいと言ってもいいくらいだ。
 
富岡街道とよばれる国道は福島市を離れ飯野町に入り、すぐに川俣町へと入っていく。街と街の中継地点のような山間の平地には道の駅川俣があり、ここでトイレ休憩。若めの男性二人組が水戸ナンバーの車から降りてきて、トイレ前の地図を眺めている。他にも水戸ナンバーの車が停まっている。彼らはこれから何処へ行くのだろう。東北道の駅のスタンプラリーでもやっているのだろうか。
 
国道349号との交差を過ぎると、印象の薄い山中の道となる。いくつかの家々と、たまに牧場、国道北側の山への登山道、山間の畑、田んぼ、細い道、田んぼ。やっているのかいないのかわからない観光的な店。浪江町に入る。特に印象なし、というか記憶なし。ひたすら国道を東へ南へ。道路のコンディションは決して悪くはない。
 
昼曽根トンネルを抜けてすぐ、左手に小さな滝。少し小雨が混じるような天気。さらに南下すれば大柿ダムがある。でも手前を右に入る。地方道50号浪江三春線。「行司ヶ滝」を見ていこうと思ったのである。
 
地方道50号は細く狭く、傾斜のきびしい道である。道のわきの谷も深い。それだけに、流れる水の音もはげしく、もう殆ど散ってはいたものの、葉の色づきも良さそうだ。地図には「紅葉の時期には絵になりそうな渓谷」とメモが書かれている。
 
葛尾村に入る。いささか逡巡しながら、地図を頼りに木取場だの大笹だのいう字の細い道を抜けていく。しばらく行くと県道253号線落合浪江線。細く侘びしい県道に出た。葛尾村、田村市、浪江町の三つの町の境あたりに行司ヶ滝はある。葛尾川のゆるやかな流れを楽しみながら、細い道を行く。
 
午後4時を回ったあたり、行司ヶ滝の看板を発見する。狭い駐車場。そのうちにもう1台車が停まる。少し雑談。駐車場からすぐ下の河原を、長靴を穿いて調査。流れは見た目よりずっと急でしかも深い。向こう岸にはちょいと良さげな流れが見えているのだけど、渡れそうにない。よく見ると、橋が流されたような跡があった。どうやら今日はアプローチは無理っぽいと思い、断念(帰宅後調べると、田村市側から行くのが正解だったみたい)。
 
浪江町に入ってからの県道はさらに長く細い。手倉山への登山道や、「隠れ十五滝」、「申瘤」など、けっこう魅力的なスポットを口惜しく足早に通り過ぎる。右には高瀬川。途中、パーキングのような駐車場で、車からバイクを出して乗ったりしている人を見かける。彼は何処から来たのだろう。このへんの人なのだろうか?日が落ち暗くなりはじめたので、ひたすらに先を急ぐ。この県道253号線はひたすら長かった印象がある。
 
地方道34号いわき浪江線に出る。南下し、双葉町へ。国道288号とぶつかる。左に行けば双葉町役場だ。右へ行き、大熊町に入る。大熊町の山々は標高こそ決して高くないけれど、稜線がゆったりと線を描いていて、とても穏やかで素朴で、美しい町だと思った。
 
ゆったりとした国道、都路街道をすぐ左へ曲がって地方道35号いわき浪江線。ずうっと南下し、富岡町へ。左手には常磐富岡ICからはじまる常磐道が見えてくる。適当なところで左に曲がり、国道6号へ出る。楢葉町へ。
 
楢葉町に来る頃にはすでに暗くなっていて、ほぼR6を行き交う車のライトが光っているだけとなる。交通量の多い2車線の広い道路をさらに南下していくと、右手に大きな建物が暗闇の中に見えてくる。今日の宿場にするつもりの、「道の駅ならは」だ。とりあえず今日の晩飯(酒・つまみ)を確保するため、さらに南へ走る。
 
すぐに広野町に入る。国道沿いだというのに本当に何も無い。セブンイレブンの他には明かりが無いと言っていいほど。役場の近くに行けば何かあるんじゃないかと思ったけど、役場のまわりにも何も無い。そのまま惰性で南へ走り続けたけど、いわきに入っても何も無い。いくつかトンネルを抜けた後、パーキングでUターン。広野駅のほうに行ってみようかとも思ったけれど、あまりにも真っ暗なのでやめた。
 
夜の闇を走ったということもあるけれど、そんなわけで、広野町には何も無い。という(無数の町の中では)さして珍しいわけでもないのだろうがわりと強烈な印象が残った。
 
 
道の駅ならは。この日の最終到達地点。ここで車中泊。
ここを選んだのは何より温泉があるからである。温泉といっても何の変哲もない普通の浴場ではあるけど、熱い湯を浴びることができるというのは何にも代えがたい。
 
温泉客は意外に多い。近くにJヴィレッジというスポーツ施設があるからか、合宿のような感じで来ている人もいれば、若い親子連れ(例によってすぐ怒鳴ったり、かと思えば急に猫なで声になったりする親と無邪気に遊んでいる子供。あの子の耳にも近いうちに栓が入るんだろうな)もいる。
 
合宿に来ているのであろう若者の肉体を眺めながら、俺が19とか20のときにここへ来て風呂に入ってでもしていたら、今と何か違っていたんだろうか…などと考える。いや、おそらく俺の人生にはそういうことは起こらなかったに違いない。いま自分に起こっていることは、過去の自分には起こらなかったことなのだ。そう思いながら、腹の肉をつまんでみる。いったい他の人には、どのような感慨が浮かぶのであろうか。俺の肉体、それを思うと、まったくわけがわからない。
 
別棟2階の食堂で晩飯を食べる。何を食べたっけな…かきあげうどんだったような気がする。やる気の無さそうな(まあ、やる気を出すに値するような活気なんて無いから仕方ない)調理係のおばさん方が、地元なまりで雑談している。そんなかきあげうどんを食べながら、意外とモダンでゆったりとした建物の広い窓から外を見る。昼間なら目の前に海が見えるのかもしれないけど、外は真っ暗。何も見えない。天井のスピーカーからは小さく、聴いたことあるような無いようなクラシック音楽、離れたテーブルには一人ぽつんと婦人が食事をとっている。二人組くらいの高校生らしい若者が中の様子をちらと見、すぐに消える。奥の給水場には湯呑みが積み上がっている。
 
晩飯の後、階下の特産品売り場みたいなところでお買い物。お土産に何か買った(覚えていないようなものばかりだけど)。相馬焼の失敗作みたいなものが安く大量に売られていて、3、4つ買った。そのうちひとつくらいは割れてしまったけど、いくつかはまだ残っている。
 
ふたたび温泉に浸かり(当日ならもう一度無料で入れる券を発行してくれるのだ)、休憩室で滝の本を見ながら時間をつぶし、夜9時の閉館までそこにいる。テレビのニュースを観ている老夫婦、中学生くらいの子供と母親、奥では何らかのミーティングをしている4人連れ、9時が近づくにつれて職員が雑談しながら片付けをはじめる。
 
車に戻ると、閉館時間を過ぎているのに多くの車が停まっている。彼らもまた車中泊をする人たちなのだ。福島ナンバーからいわき、高崎、釧路ナンバーまである。手慣れた手つきで窓に熱遮断用のマットを貼り付けている。慣れないぼくは平らにならないシートの上で寝袋にくるまってビールを飲みながらナッツをかじり、持っていった本をちょこっとだけ読んでからすぐに寝てしまう。
 
翌朝も5時30分ともなれば、殆どの車は姿を消している。トイレでひげを剃り、おしっこをし、ゆったりとした動作でやがてやや焦りつつ、いわき方面へと向かう。海は見なかった。海を見るのを忘れていた。
 
 
海。たぶん道の駅ならはの高台からは、海が見えたはず。海のことなんてすっかり忘れていたのだ。地方道35号線を、以前も通っていてすっかり馴染みになったみたいな道を呑気に走っていったのだ。
 
 
 
釧路ナンバーのあの車は、あれから何処へ行ったのだろう?食堂の、活気の失せた時間のたまりみたいなあの場所のおばさん達は、いま何をしているのだろう。あの若い親子連れは、その奥さんはいま何処にいるのだろう?
 
山間の道路沿いに住む人々は、どうしているだろう?漆黒の闇を照らしながら連なっていく車の列は、バーコードをスキャンしnanacoボタンを押下する名もないコンビニ店員は、トラクターに乗って道路をゆっくりと過ぎる農家の人は、轟音を上げてトンネルを突破してゆくトラックたちは。何処で何をしているのだろうか。
 
 
これらのさびしく、やるせなく刻み込まれた記憶を、まるで二度と鳴らない電話を待つともなく待っているかのように、ぼくは持て余している。もう一度あの道を、あの暗い夜を走ることがあるとしたら、ぼくは何を懐かしむことになるのだろうか。
 
現実は、いつも後からやって来る。人はそれを過去と呼び、決して二度と戻りはしないと歌い、嘆き、微笑み、酒に憩う。そう、自分に何が起こるかなんて、いったい誰にわかるというのだろう。
  
  
  
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ぼくの中では、福島といえばダニー・ハサウェイかPerfume。世界につかのま惜しみなく完全なる愛をそそぐ名曲「Love, Love, Love」と、「どうして ねえコンピューター こんなに苦しいの」という歌詞が出来すぎで泣いてしまう、そして「おかしいの コンピューターシティ」が「お菓子の」に聴こえるわけでさらにグッと来てしまう「コンピューターシティ」を


 

Trackback(0) Comments(0) by 雨|2011-03-30 02:02

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