百名瀑のひとつ・銚子ヶ滝。郡山市方面から旧母成グリーンラインに入ったあたりに位置する石筵ふれあい牧場手前の舗装路を5キロほど。東屋が目印。そこから歩いて1.5キロ。途中までは平坦な山道だが、滝へ至る下り坂が厳しい。ハイヒールで降りてくる人もいたし犬も降りてきていたが、正直驚いた。足を滑らすと怪我ではすまない可能性も。とはいってもみんな元気に上り下りしていたけど…。
滝の実体とは何だろう。それは滝口から流れ落ちる水の飛沫だ。高速シャッターでの撮影を試みるうちに、その飛沫ひとつひとつがくっきりと目に浮かび上がってきて、魅了された。滝とは無数の飛沫の集まりだが、その輝く一粒をじっと凝視しても刹那のうちに滝壺の中に叩きつけられ消えてしまう。しかしいつの間にか眼は新たな輝きの粒を追い、そして同時に視界いっぱいの無数の輝きを見ている。際限なく続く飛沫の雨。一瞬の絶え間ない連続。→はじめはいつもの通りスローシャッターで写してたのだけど。途中から手持ちで夢中になって高速でシャッターを切り続けた。
←京都から来た3人連れの方に「途中で落として来なかった?」と教えていただいた。まったく恥ずかしい。必ず旅先で何かを忘れているみたいだ。
シャツを落とし、車の鍵を落とし、観光地とは思えない急勾配の道を往復しながら、たくさんの観光客とすれ違い(すみません…車の鍵落ちてませんでしたか?)、たくさんの人と声を交わすことが出来(滝の一番奥のほうに落ちてました!お騒がせしてどうもスミマセンでした…)(とても素直で元気な男の子と出逢い、一緒に鍵を探してくれた)、とても充実した時間を過ごすことが出来た。
滝にも2時間以上居続け、写真を撮ったり(プロのカメラマンですか?と訊かれ「そうです」と答えてしまった。京都のおじさん、あれは冗談ですよ!)マイナスイオンを身体いっぱいに感じたり、長靴で歩き回ったりした(滝壺にはさすがに怖くて入れなかったけど)。
眺めるうちにだんだん吸い込まれるというか、滝の中に引きずり込まれるんじゃないかという、地震の前触れのような恐怖感をはじめて知った。滝の雄々しさ・清々しさ、自然の強さを思い知らせてくれた滝だった。
人間にとって滝って何だ?
いいか滝ってのはな…
麻薬だよ。
その素晴らしさゆえに、下手をすれば見たやつをダメにしちまう。
しかしだからこそ人は滝を求め、そして彷徨う。
どこを?
決まってるじゃないか、まだ見ぬ滝を求め、今日も彷徨う。さまよお。
↑久しぶりにゆたりのC-SMS(って言っていいんすか?)を開いたら、何だかデザインが変わってセピア色のいい感じになってますなあ
Trackback(0) Comments(10) by 雨|2008-06-09 02:02
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