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[雨は遠いそらの上] 記事数:109

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月居山に登る

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目を覚ますと雲ひとつ無いまっさらな青空が見え、がばっと起きる。向かうは月居山。またも山登りである。でも今日は生瀬・袋田観瀑も兼ねているのだ(どっちにしたって山と滝だけど)。
大子に入ったころから何だか雲が多くなってきてしまう。ぼくは基本的に晴れの日でないと出かける気が起きないのだが、もう出てきちゃったもんは仕方ない。袋田の滝の町営無料駐車場に車を停め外に出ると、弱い日差しと冷たい風で、寒い。

そこから月居山は見える。いわゆる双耳峰というやつで、山頂である南側の後ろ山と北側の前山の稜線が美しい(それにしても大子は本当に山並みがきれいですね。国道から見える男体山にも長福山にも、名も無い山々にだって見とれてしまう。高くせり上がった山の稜線が魅惑的な輪郭を描き、ぼくの目を釘づけにさせる。くわえて久慈のこれまた美しい渓流とカーブが多いので、事故りそうです)。
旧道のほうから登ろうと思ったのだけど、何となくまっすぐ袋田の滝へと進む。シーズンオフで、朝方だったこともあり人はまばら。少し上がったところの道の両脇に連ねる食堂も、しんとしている。月居山への登山口はそのすぐ横に伸びている。
以前にも何度か来たことはあるけど、そのときにはさして心に留めなかった「登山口」の標示が、いま見るとこんなにわくわくするなんて不思議な気分だ。10:00に登山を開始。コンクリの階段が続き、5分ほど登ったところに休憩所があって袋田の滝が遠く望める。今日のお楽しみが早くもお姿をあらわした。まだ早いよ。
今日はこれからさらに近づきますからね、ではまた。と、歩き出す。杉林の暗い中を、コンクリートの道が続いている。ハイキングコースの標示もあるし、一本道なので特に迷うことも無く分岐に着く。分岐から少し登ればすぐ月居峠、月居山の鞍部だ。光明寺跡が整備されていて、鐘撞き堂があり月居観音堂が建っている。鐘を撞き(ごおおおん)、観音堂からの眺めを楽しみ(眺望が良いよ・駐車場に停めた車が見えた)、後ろ山へ登りはじめる。結構急な登りでところどころトラロープが張ってあったりするが、特に困難も無く10:39に山頂到着。
山頂は均されたように広くなっている(ガイドブックや他の方のHPでは標高404mとなっているけれど、どっちが正しいんだろう?)。かつて月居城が築かれていたらしいけど、山頂部にこれといった遺構があるわけではない。木立に囲まれ展望はさほどではないものの、男体山へ至る尾根の連なりが南に続いておりちょっとどきどきする。今日はここで引き返すけど、いつか縦走するぞ。
峠に下り今度は光明寺跡を突っ切って、前山までずっと階段を登っていく。前山のてっぺんにはベンチが置いてあって、日差しもあたたかい。北を見れば木のあいだから生瀬富士の姿。少し下ったところに開けた場所があり、生瀬富士の南側が一望できる。雲の影をまとった生瀬富士の姿はまさに「生」という感じで、しばし見とれる。今日のところは残念ながら隠れている北の山々も、うっすらと見えるような気がする。そのうちにだんだん日差しが無くなって寒くなってきたので、下山する。
   
前山からふもとまではずっと古いコンクリートの道だ。だいぶ劣化が進んでいるみたいだが、いつかは朽ちてしまうのだろう。そうなったら、町で修復をするのだろうか。この一帯、重要な観光地であるし結構登られている山なので勿論放っておくわけは無いだろうが、いつも深く考え込んでしまう。日本全国にこういう山なり自然なりがあるわけで、それを我々の世代は支えていくだけの地力があるのだろうか?手を持て余して寂れさせ、荒廃させていくことになるのかもしれない。そのようにして時代は移り変わるものなのかもしれない。登山道は消えうせて、山だけがその風景を後世に留めるかもしれない。それとも我々はそれらの風景を後世まで残し、伝えていくのかもしれない。
少なくとも、考え込んでいるばかりのぼくが出来ることといえば、何も無い。ただより多くの景色を身体に刻みつけ、そのうつろいを見守っていくことくらいしか無いだろう。
  
生瀬の滝を見た後は袋田の滝へと下りる長い階段になるのだけど、下から若者二人が半ば駆け足で上がってきたのでびっくりする。こんなところに若い人が来るなんて(ぼくも若いことは若いが)。ダッフルのショートに大人しめのパンツを合わせたイケメン風の男子二人組である。月居山の頂上まで行ってみるらしい。俺だって負けず劣らず若いしイケメンだぜ…と言いたいところだが、くたびれたシャツにくたびれたジーンズ、くたびれたターバンという格好で、肩には三脚とカメラを担ぎ「袋田の滝を見たあと温泉にゆっくりつかってそばでも食いてえなあ…」などと思いはじめていたところだから、もうオヤジである。顔がくたびれている。恥ずかしくなってしまう。
「元気ですね」と言われて「まあ…(君たちよりは山に登ってるからねえ。オホン)」なんつって、頑張って、なんて言って余裕こいてるわけだ。まあ下りていってみればこの階段の急なこと。これを2,30分は登り続けるわけだから大変なわけだ。これでは誰だってくたびれてしまうだろう。それを何を余裕こいてんだ俺は…ますます自分がみっともなく思われてくる。
滝展望台へ至るつり橋近くまで下りてきた頃、下から今度は若者5、6人が相次いで階段を登ってくる。三脚を窮屈に持ち直しすれ違う。実に恥ずかしい。しかし先ほどの若者といい、前途は希望にひらかれているじゃないか。彼らが山に登り、その美しさに触れれば、山はまた活性化していくだろう。ぼくは一人でいったい何を悲観しているのだろうか。悲観するのは自分自身の人生のみで結構。日本全国津々浦々、若者は元気に動き回っているのだ。
   
シーズンオフの平日だったけれど、滝を見に来る人はポツポツやってきていた。のんびりと歩きたいところだが、とうとう日もかげり風が冷たい。生瀬富士も合わせて登ろうかとも当初は思っていたのだが、やはり温泉に入ってあったまろ…ということになる。生瀬富士の厳しい山容を見上げながらまた来るぞ…あの稜線を突っ切るのだ。と決意を新たに駐車場まで戻る。月居山を見上げたら、来たときには気づかなかったけれど峠の観音堂が見えた。あの稜線を、ぼくは歩いたのだ。大したことはないけどね。
  
次回は生瀬の滝と袋田の滝のようすをご紹介します。
  
  
*月居山…標高404m、といわれていることが多いのだけど、写真のとおり山頂の標識には423mと書いてある。どっちが本当なんだろう?
素敵な名前ですね。徳川斉昭が月居山の美しさを歌に残しています。またかつて山頂には城が築かれており、佐竹氏が秋田へ移る際に廃城となったそうです。また江戸時代には水戸藩の内紛から天狗党と諸生党が月居峠にて戦ったそうです。
登山道は後ろ山の急な斜面に気をつければ、あとは整備された階段の道が続きます(この階段がクセものなんだけどね)。
  
*御犬様へ…主張などを直接明示せずに、わざと婉曲的な表現を用いて暗に示すことによって、とげとげしさを隠す、ユーモアと情緒をかもし出す、痛烈に皮肉ったり小馬鹿にしたりする、といった効果を引き出す。ネガティヴ・アプローチとも言う。これに気づかないと、KYとか言われて、現代島国的差別が進行する。
  
  
  
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» Tags:山行き,

Trackback(0) Comments(6) by 雨|2008-03-08 03:03

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