パラリンピックが終わりました。
印象的だったのは選手たちの笑顔。
特に試合前、緊張とプレッシャーでおしつぶされそうなはずなのに
なんだか、みんな明るい。
競技直前の選手紹介でも、笑顔で手を振っていた。
これ、オリンピックではあまり見られなかったような気がします。
ボッチャというスポーツは
見ているだけでニヤニヤと、笑ってしまいました。
なんと難しく、愛らしく、シンプルなスポーツ。
友達のゲームを横で見ているような気楽さに
オリンピックには感じなかった楽しさを感じました。
パラリンピックでは選手の年齢も幅広くて
白髪交じりの選手がたくさんいましたね。
人生半ばで障害を負ってから、
スポーツで人生を再スタートさせたという方が多いせいだと思いますが
「スポーツは若くなければ」という空気がまったくなくて、
ほんとうに、いろいろな人にチャンスがあるんだなと感じました。
60代の卓球選手には、そのヘアスタイルにびっくり。
あの蝶々の数!!
巷で見たら引きますが、彼女のトレードマークだときいて
ほほえましく思いました。
そういえば、オリンピックではあそこまで個性的なファッションは
見たことがありませんでした。
障がい者から元気やエネルギーをもらえることがあります。
私が続けてきた障がい者福祉の仕事でも、
そうやって、得るものが多いから続けてきたところがあります。
もちろん、障がい者が天然で明るい、オーラを持っているというわけではありません。
ハンディをもったことで、
もっと楽しもう、いまを精一杯生きようとする思いが
強いのかなと、思います。
また、かれらを支えた周囲の人の影響かもしれません。
(マラソンの伴奏者には、いつも感動させられます)
オリンピックでは、みんなすごく緊張していて
10代の選手などは、みていてかわいそうなくらい
厳しい表情をしていました。
国の代表ですから、それくらいのプレッシャーは、仕方ないかもしれませんが
楽しさという点では、パラリンピックが勝っていたように思います。
4年後の日本でパラリンピックが開催されるときには、
どんな社会になっているでしょうか・・・
都内でやることに、いまだ「無理」を感じながらも
この期に及んではせめて、真のバリアフリーを目指せる祭典になってほしいと
願うばかりです。
心配なのは、建築などのバリアフリーが進むことで
障がい者と健常者のかかわりが希薄になることです。
スポーツや文化を、共に楽しむためには
障害を特殊な状態とみる以前に、
同じ社会に生きる人として、お互いが隣人という存在でありたいと思います。
便利な社会は、ときにコミュニケーションを希薄にさせます。
積極的にかかわる姿勢が必要になるかもしれません。
精一杯の生きる姿勢を見せてくれた
オリンピックとパラリンピックに
感謝感謝です。
Trackback(0) Comments(0) by 鯨エマ|2016-09-20 14:02
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