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[鯨エマの海千山千] 記事数:1742

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バリアフリーサービス

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10月公演のチラシを印刷屋さんに入稿。
今回も、デザイナーのGOTEXさんの尽力で
かわいいチラシになっています。
8月9日には手元に届く予定です!!

さて、今回もバリアフリーサービスの情報を記載してあります。
最近では「バリアフリー」という言葉よりも
「アクセシビリティ」というほうが多いような気がしますが、
一般的には「バリアフリー」のほうがイメージしやすいようです。
さまざまな障害を持つ方へのお助けサービスという意味で使っていますが
この言葉を使うこと自体に、若干、躊躇もあります。

「バリアフリー」という言葉が「バリア」を作っている、という現状があるからです。
この言葉がある限り、障がい者と健常者の間には、溝がある気がしてなりません。
それでもあえて使っているのは
まだまだ浸透しているとはいいがたいからです。

最近は、公共施設のバリアフリーが進んだおかげか
インターネットの発達のおかげか、
障碍者が外で活躍する場が増えてきているように思います。
が、それでも、「障碍者と接したことがある」「会話したことがある」という人の
なんと少ないことでしょう。

9年前に、はじめて、かんじゅく座が
新宿区の障がい者福祉センターへ出張公演に行った時のことですが
60歳以上の座員の中には、それまで障碍者と接する機会がなかった人もいて
驚いている人が何人もいました。
私は副業がヘルパーなので、日常的に障碍者が近くにいますが
実は子供のころから、学校生活の中に
障碍者の存在がありました。
脳性麻痺の生徒、その子を学校に送り迎えするお母さん、
教室に一歩入れば、友達たちが手助けします。
当然の風景として、そのような環境にいられたことは
良かったと思います。
たったひとり、車いすの生徒を迎えるために、学校がエレベーターを作ったのは
今考えれば、すばらしい受け入れ態勢だったと思います。

あのころは、制度のことなど全く知らなかったし、
いやいやいや、それ以前に、障がい者の生活を保障するような制度はなかったでしょう。
みんな、家族と仲間が支えていました。
そう考えると、日本の福祉の歴史は本当に浅いですね。
あれから35年以上たったいま、
障がい者は、どんどん外に出ようとしています。
その先駆者の歴史をビデオなどで見たことがありますが
ほんとうに、体を張った、壮絶な運動をつづけて勝ち取った生活が
現在につながっています。

じゃあ、すべてが良い方向に向いているかというと、
必ずしもそうではないわけです。

最近痛感するのは、障がい者に接してきた、という経験に
「これで充分」ということはない、ということ。
ヘルパーを15年やってきても、わかっていないことがたくさんあります。
音声ガイド作り一つにしても
車いす介助にしても、
時代とともに、人は変化し、物も変化し、
それに応じて、求められるサービスも変わってきているんだということ・・・・・

今回のバリアフリーサービスは、
様々な障碍者の一部の方にしか当てはまらないサービスだと思います。
それでも、その数少ないサービスを
つねに、繰り返しではなく、ゼロから見直す労力を
惜しんではいけないんだなと思うのです。
そして、その変化、進化は面白いこととしてとらえたいのです。
そのためには、関わる人材と、時間が必要。
共に考えられる仲間が必要だなと、強く思う、きょうこの頃です。

写真は、千畝。
最近、ポケット六法と、マウスの間に寝るのがお気に入りの様子。
image

Trackback(0) Comments(0) by 鯨エマ|2016-08-02 01:01

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