10年を節目にしようと思っていたのに、
わけあって、8年の今、年史を書かざるを得なくなり
かんじゅく座旗揚げからの8年間をまとめている。
(9月5日はかんじゅく座の誕生日、丸8年)
8年史を書くにあたって参考にしているのが
毎年座員に書いてもらっている「今年度の感想」だ。
初年度の感想と反省は、今読みなおすと新鮮だ。
舞台公演の後というのは、いろいろと思いは錯綜しつつも
初舞台の人にとっては、思いもよらなかった感覚に出会う。
これはだれにも共通するらしい。
稽古中に「できない」「わからない」を連発していても、
観客に身をさらした途端に、緊張のピークの先で、
自分の価値観はぜんぶひっくり返される。
どんな役者でも、初舞台に共通する感覚だ。
それが1年、1年たつうちに、欲が出てくる。
いい意味でも悪い意味でも、それはある。
新たな目標であったり、競争心が芽生える。
そして見失いがちなこともある。
この年になって、改めて思うのは、継続する難しさだ。
継続するエネルギーは、自分の意志だけではない。
周りの協力、とくに、見守り続けてくれる観客の存在、
そして、共演者の存在。
それが、欲の後ろに隠れてしまって、残念な言動をしてしまうことがある。
それからもしかしたら、「運」もある。
継続できる家庭環境、健康状態、人間関係。
でも、その「運」も、ある程度は自分でコントロールできるすべを
シニア世代は持っていて、おかしくないと思う。
とにかく、ハードルは多い。
そのハードルを、物創りの一幕だと考えたい。
辛いこと、面白くないことがあるのは当たり前。
「演劇は、幕を開けるまでが演劇」
ハードルがあるから、面白い舞台を創れる。
そんなふうに考えるのはドМの証拠?
でも、先日、かの有名な演出家、野田秀樹氏もいっていた。
「肌がひりひりするような感覚が必要。
黙っていてもあたたかいコーヒーが出てくるような環境にいたら、芝居は創れない。」
漠然と感じていたことを、こうして言葉にしてもらうと
役者という人種でいることに、喜びに似た諦めを感じることができる。
こういう感覚はシニアにもあるのだろうか。
8年も続けているシニアには、少し、
共感できることがあるのだろうか。
いまは何となく、話しにくいことを、いつか、座員い聞いてみたい。
Trackback(0) Comments(0) by 鯨エマ|2014-08-16 13:01
「ゆたり」は時の広告社の登録商標です。
(登録第5290824号)