稽古が夜だけになったので
空いた時間で新宿で開催されているユトリロ展をみにいく。
15年ほど前だろうか、
どこかの美術館でやっていたときに、
初めてユトリロの絵を見て
とてもすきだったので、
また、あの絵とすごす時間が、とても楽しみだった。
ユトリロ展の副題に
「パリを愛した孤独な画家」とかいてあった。
恥ずかしながら、生い立ちなど知らなかったので、
展示物をよんでみた。
20代前半、アルコール中毒で入院生活を送り、
退院後に絵を描き始めるが、
母によって、家でも鉄格子のはめられた部屋に閉じ込められ
そこで、絵を描き続ける。
やがて、母はモーリス・ユトリロよりも若い男性と再婚するのだが
ユトリロの絵が売れ始めると
その売り上げで贅沢三昧の生活を始める。
それでも、ユトリロは、部屋の中に閉じ込められて
絵を描き続ける。
この生活が15年以上。
50代になったときに、母親の勧めで60代の女性と結婚するも、
その妻によって、またもや家の中に閉じ込められ、
ひたすら生活のため絵を描き続けるのだった。
ときに、紙に「助けて」とかいて
塀の外に投げるのだが
すでに名が売れていたユトリロ直筆の
そのメッセージは、拾った人がよろこんで、
宝にしてしまいこんでしまうのだった。
生涯、孤独で不幸、と言わせるのは
こういう人生ゆえのこと。
そのユトリロの絵に、いま、こうしてたくさんのファンができている。
ファンまでいかなくても、愛されている。
時代を経て、絵によってユトリロに出会っているわたしたちが、
「不幸」とか「孤独」とか表現するのは
ちょっと変な感じだが
そういうサブタイトルが、かえって人を引きつけるのだろうか・・・
そういえば先月、私は60代の女性に
「エマさんの人生は不幸だから・・・」といわれた。
人生経験を60年以上積んだ方の言葉なので
どういう意味だろうと私なりに考えてみた。
私のかく作品、話す内容をきいての判断らしいのだが
じゃあ、なにが幸せなのか、と問うと、
それには答えられなかった。
今日のユトリロ展は、ビルの42階で開催されていた。
窓から外を見ると
林立する高層ビルがみえる。
こういう景色を見ると
「ここがほんとうに、私の住むべき場所なのだろうか」と考えさせられる。
しかし、いま、ここしかない自分の居場所の中で
一縷の希望を胸に、歩き続ける、
それが幸せと考えたい。
自殺者が多い昨今、あきらめずに歩けることが幸せと思いたい。
ユトリロも、きっと、閉鎖された壁の中で
信仰し、祈りながら、絵に希望を託したのではないだろうか。
わたしは、彼の絵に、暗さを感じなかった。
だからやっぱり、幸せか不幸かは、自分が決めるのだろう。
~本日のありがとう~
稽古場でお饅頭をいただいた。
ああ、アンコは最高。
ごちそうさまでした。
Trackback(0) Comments(2) by 鯨エマ|2010-06-15 22:10
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