雨の新宿。
日曜日の夜。
炊き出しは、雨天の場合、都庁の下、屋根のある場所で行われる。
今回も、ホームレス役を演じる、かんじゅく座の新人役者さんをつれて
取材を兼ねた炊き出し参加である。
1年前に来たとき、
そのさらに10年前、参加したときと比べて、
随分並ぶ人の人数が減ったなあという印象を受けた。
今回は、人数のことだけではなく、
炊き出しの体制が変わったなあと感じる点が
いくつかあった。
まず、ひとつは、
ビニール手袋をして配膳するようになっていた。
衛生面を見直したのだろう。
以前は、当たり前に素手でおこない、
容器もためたお水で洗っていた。
きたないな・・・と感じたこともあったけど、
これくらいのことで騒いでいたらいけないのだろうなと思っていた。
いまは、容器もその場では洗わない。
たぶん全部あたらしくしている。
手袋といい、容器といい、
普通のお弁当屋さんと同じような感覚に、あがってきたのだ。
(エコの面では問題もあるけど・・・)
次にメニュー。
丼飯一杯なのだが
今回は、ご飯の中に、肉や野菜がゴロゴロと炊き込んであった。
そして、漬物も乗った。
同行した役者は「トン汁くらいもらえるんでしょ?」といっていたが、
そんな大層なものは、ない。
メシだけです。
それでも、随分よくなった気がする。
食後の新宿パトロール。
ここにも大きな変化があった。
毎回、いれかわり、たちかわり、参加するボランティアの人のために、
「初めての人向け」のパトロールがあった。
私たちもそこについていったのだが
歩きながら、現在の野宿者事情について、
長年炊き出しに関わっている人がいろいろと説明してくれる。
携わる人の生の声を聞きながら
数名ずつに分かれて、路上の人に声をかけてゆく。
そういえば、私が初めて参加したときは、
着いて歩くのがやっとで、
要領が分からなかったし、
それで、野宿者に失礼な接し方をしていたかもしれない。
まだまだ寒い中、
冷たい地面に寝そべったり、立ち尽くしている人。
ひざを抱えて小さくなっているおばさんがいる。
近くに行って、手のひとつも握り、声をかけたくなる。
丼飯よりも必要なのは、そういうことなのではないかと、
私は思う。
中には答えない人もいる。
人間不信に陥ている人も多い。
そういうひとでも、少し離れた所から、
次の医療相談の日程を伝えたりする。
来てくれればいいなあと思いながら。
よく、炊き出しにいくと、「かわいそうな人たちですね。」とか
「わあ、騒然ですね。」という人がいるが
私はあまりそうは思わない。
私は少なからず、
現在の状況に至るのは、
自分で選択した人生なのではないかと思うのだ。
それでも、ボランティアに行こうと思うのは、
目の前で凍えている人が、気になるから。
つまり、半分以上、私の自己満足の行為なのだ。
ただ、生きているからには
「もっと生きていたい」と思える人生のほうが良いに決まっている。
「早くお迎えが来ればいいのに・・・」と、
仕方なく生きている人がいるとすれば
1分でもいいから、
心が温かくなる時間を作るてつだいができればなあと思う。
「喜びは、分かち合うことで2倍に、
悲しみは、分かち合うことで半分になる。」というのは
私が頭ごなしに教えられた、キリスト教の精神だが
物や金では解決できない方法を
政治にも解決できない方法を
私たち一人一人が、元来ちゃんと、持っているのだ。
~本日のありがとう~
誰がいてもいい、新宿はそういう受け入れてくれる街だ。
汚くて、すきではないけれど、
新宿はいろいろなことを教えてくれる。
まだまだ、お世話になります。
Trackback(0) Comments(2) by 鯨エマ|2010-03-09 00:12
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