昨日は、初めて青年座の芝居を観たときの話をした。
舞台自体をはじめて観たのは小学校3~4年生のときだった。
森繁さんの「屋根の上のヴァイオリン弾き」だった。
背の高い幽霊が走り回るシーンがやたら恐ろしく、
これは、いまでも夢に時々出てくる。
では、はじめてみた映画はなんだったっけ・・・・
「キタキツネ物語」だ。
いまネットで調べると1978年の制作と書いてある。
私は5歳。
友人と、そのお母さん、姉、私の4人で
とても大きな映画館に行ったのを覚えている。
客席は超満員で、私たちは、最前列。しかも、3つしか席はとれなかった。
9歳の姉と8歳の友人は、1席ずつ使い、
私は友人のお母さん(Aオバチャマ)のひざに座ることになった。
映画が始まった。
無邪気に戯れるキツネの映像なんて全く覚えていない。
今でも鮮烈に頭に蘇るのは
ニワトリを取ろうとして罠にかかってしまうキツネ。
夕日の光に照らされて、キツネの屍がシルエットで浮かび上がる。
もうひとつ、目の見えない子ギツネが、海の方向にどんどん歩いていってしまい
北の海の冷たい波に飲まれてしまう・・・・
いま、目の前で、キツネが死んでゆく・・・ということに耐え切れず、
私は大声で泣き出してしまった。
今でもしっかり覚えているが、
映画館のドまん前の席で「しんじゃう、しんじゃう」
と泣き叫んだ。
Aオバチャマは子供二人を残して席を立つわけにも行かず
「おはなしだから大丈夫」と、必死になだめてくれたが
効果虚しく・・・・。
(周りの皆様には多大なるご迷惑をおかけし
今からで間に合うものならお詫びをしたい。)
あれが、死を目にした最初の体験かもしれない。
といっても、物語の世界、体験とはいえないかもしれないが、
私には、映画と現実の区別が全くついていなかった。
そういえば、同じころ、わが家の猫も死んでしまったはずなのに、
私はその現場には居合わせなかったような気がする。
現実に、人間の死を体験したのは、
小学校6年生、祖母の死だったが、その場に居合わせたわけではなく、
ご臨終の知らせを受けてから愛知の親戚の家に集まった。
普段一緒に暮らしていなかったので、「喪失」感はあまりなかったが
葬式の異様な空気を実感した。
最近、「死」を生活から遠ざける親が多いそうだ。
高齢者と一緒に暮らしていないから、
「死」や「喪失」の体験をすることも少ないかもしれない。
葬式でも学校を休ませない親がいるとも聞く。
そのくせ、子供たちはゲームで人を殺したり、殺されたり。
どこまでも「死」は他人事だ。
バーチャルな「死」に、喪失感はないだろう。
さてさて、裁判員制度に向けて
いろいろ対策が練られているが
裁判員に選ばれた人の心理的負担を軽くするために
死体の写真などをみせずに、CGで絵を作って見せるように
いま、工夫がなされているという。
どの程度のCGなのか、わからないが
このことに一抹の不安を感じる。
忙しない生活の中で、私たちにとって一番の関心事は自分のことだ。
知らない人が殺されたことに、時間を割くよりも、
生きている自分が直面している仕事だったり、家族だったり、健康だったり、
そういうことが第一の人が多いと思う。
そんななかで、ある日数、誰だか知らない殺人事件について協議をする。
どこまで真剣に考えることができるのだろう。
もともと関心のある人はいいが、
CGで作成された資料を見ながら
人の命を左右する議論を、どこまで真剣にできるのだろうか。
また、実生活の中で「死」を体験していない人が
どこまで遺族の気持ちににじり寄ることができるのだろう。
「死刑」について正しい判断ができるのだろう。
どこまでも不安の残る裁判員制度だが、施行まで1年をきっている。
ところで、「キタキツネ物語」の結末はどうなるのだろう。
Aオバチャマの膝の上で泣きつかれた私は
映画の後半ぐっすりと寝てしまって
35歳になった今も最後を知らない。
2時間近く私を膝の上で慰め、寝かしつけたAオバチャマのスカートは
アイロンをかけたように、しっかりとシワができたという。
オバチャマ、どうもありがとう。
by 鯨エマ|2008-05-21 08:08
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