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[鯨エマの海千山千] 記事数:1742

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物の処分

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父方の叔母からメールで、
古い着物を処分したいのだが、
演劇関係で使ってくれるところがないかしら、
という相談。
早速、私がいつも衣裳を調達しているリサイクル着物やさんと
下北沢にある、個人経営の古着物やさんを紹介するべく
電話をかけた。

「そろそろ私たちも歳なので、どうにかしようと思って・・・」という彼女。
たしか、70に手が届くお歳だと思うが
「まあ、そんな縁起でもない。」とはいわず、
その思いに多少は力を添えられればと思い
私のわかる範囲で紹介した。

人が亡くなると、その持ち物処理は大変だと誰もがいう。
電話を切ったあとで、私自身の持ち物について考える。
部屋を見回すと、私以外の人にとってはガラクタのようなものばかりだ。
もし、私が突然、交通事故か何かでなくなったら
この荷物は誰が処分してくれるのだろう。
親切なお友達がごみ処理の業者に電話してくれるだろうか。
売れるようなものは何もない。

今までも引越しのたびに身の周りのものをかなり処分してきたが、
自分では捨てる勇気がなく、親と同居していた家においてきたものがある。
それが、雛人形だ。
うちは姉がいたので、私が生まれたときにはすでに雛人形があったのだが
なんでもお古で、かわいそうだと思ったのか
祖母が小さな雛人形を買ってくれたのだった。
成長するにつれて、それを出すことが恥ずかしくなり
やがて面倒になり、高校2年生のとき、
それまでよりもせまいアパートに引っ越したことを機に、
出さなくなってしまった。
その1年半後、さらに小さな家に引越し、
そこでも物置に入れっぱなしだった。
20歳で一人暮らしをはじめたときに、
あの雛人形をどうする気だ、持ってってくれと、
母親が怒ったような記憶がある。
でもとにかく、身の周り最低限のものを運び出すのが精一杯で
そのまま、物置に置き去りにした。

数年後、7~8年あっていなかった父親から突然雛人形が送ってきた。
いわゆる日本人形のような形ではなく、
もう少しアート感覚の現代的な
1年中飾ってもおかしくない置物のような雛人形だった。
そのときに、私は自分の腹違いのきょうだいが
妹なのだということを知った。
当時、何かにつけて、自分の過去を払拭しようとしていた私は
それまで父親から送られていたお小遣いはすべて、
ユニセフに募金してしまっていた。
で、この雛人形が送られてきたときは、
まさか、ユニセフに送るわけにも行かないので、
デパートに返品に行ったのだった。

今でも忘れない、新宿の伊勢丹。
私は劇団生活を始めて間もないころで
東京暮らしをしていたものの、デパートなんかまったく縁がない世界。
ヨレヨレの服装で、伊勢丹の装飾品売り場まで行き
デパートのお姉さんに雛人形を渡した。
今思えば、レシートも持っていないのに、よく返品処理をしてくれたと思うが
たしか、1万円ちょっとのお金が私の手元に入ってきた。
その1万円は、寄付せずに貧乏な私の生活費となった。
父の気持ちなんかは慮る余裕すらない。
かれこれ15年前の雛人形事件、
当時の殺伐とした役者生活を生々しく思い出す。
それにしても、まったく恩知らずなことをした。

叔母の処分したいといっている着物は
義理のお母様の形見もあるらしい。
捨てるよりは、何かの役に立てたい、お金にならなくてもいいから
使ってくださる方がいれば・・・という気持ちを、大事にしたいと思った。
どこかの舞台で、役者に花を添える日が来るかもしれない。

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by 鯨エマ|2008-02-28 16:04

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