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[鯨エマの海千山千] 記事数:1742

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かわらない坂道

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卒業生の作る会報に寄稿を頼まれたのは昨年半ばのこと。
提出した私の原稿をめぐっての、納得いかない対応について
話し合うべく、かれこれ17年ぶりに母校へ出向く。
こんなきっかけだけど、これがなければ
再び来ることはなかったかもしれない。
1つのチャンスと受け止めて、
決して争いに来たのではないと自分に言い聞かせ
校門をくぐろうとした・・・・あれ?

守衛さんがいる。
なるほどね、このご時世、校門にはこういう存在が必須になっているのだろう。
すっかり変わり果てた大船駅とは裏腹に
構内を出たあとの景色は
信じられないくらいかわっていなかった。
栄光学園の横の坂道も、相変わらずの急勾配。
こんな坂をよく毎日登っていたもんだ。
バスの便が悪いのでタクシーを使ったが
思わず運ちゃんに、「ぜんぜんかわってないですね」。
若そうな運ちゃんは、はいとも、いいえともつかない、曖昧な返事した。

さて、本題を書くには少し、私の中でも整理が必要なので、
くわしくは次に回すことにして・・・。
50代の先輩たちと話あいをしたあと、
一人だけ尋ねてみたい先生がいて、アポなしにもかかわらず
受付から呼び出してもらった。
英語の石川先生だ。
学校の先生というのは、1日中とにかく忙しくって
こういうアポなしには対応してくれないと思ったが
少しだけ、時間を割いてくださった。
なーんと、彼はいま、教頭先生になっていた。
私にとっては、大変思い出深い出来事があり、
また、遠距離通学の私と家が一駅違いだったので
とてもよく憶えている先生だ。
同級生に、石川先生の話をしても、
あまり皆覚えていなくて、せいぜい
「ああ、いつもシャツから乳首が透けて見えてた先生?」てな程度・・・。

石川先生は姉の期も教えているので、
姉の話、私の話、とものすごい早口に報告し
最後にどうしても言いたかったことを話した。
在学中、石川先生にきいた、大人になってから洗礼を受けたわけ、
それから、上智のガラルダ神父様がご自身の失敗について懇々と語ったこと、
この2つがあるおかげで、私の暗黒の中学高校時代は
無駄ではなかった・・・・ということだ。
そして、あんなに嫌いだった学校で培われた価値観が
(良し悪しは別にして)いま、私の心の底に脈脈と流れているということ。
すると、先生は、
「その価値観を持たせることができれば教育は成功だ」
とかなんとか。
すごく重要なことをおっしゃったのだが、
私たちはあまりにも時間のない中、急いで喋っていて、
その肝心なところを聞き返すゆとりがなかった。

先に書いたガラルダ神父のお話は
いまも、私とキリスト教をつなぎとめる唯一の鎖になっている。
お堅いミッションスクールで、まるで夢を見ているような理想論ばかりを
聞かされていたときに、
自身の負の部分をさらけ出して語ってくれたガラルダ神父には
目から鱗だった。
そして、今日の一番の目的だった、先輩との話し合いでは
私自身が自らの負の部分をさらけだして書いた文章に
「風紀を守れない。」という理由で没にした先輩方に対し
この体験もふくめ、できる限りの話をしたつもりだったが、
ついに、聞き入れられなかった。

端から、相手の考えを封じ込めるつもりはなかったものの、
どことなく、「暖簾に腕押し」感を抱いて、学校の坂を下りた。
人はいくつになっても変わる可能性を持っている。
でも、なかなかかわらない。
それは、私の価値観がそうそう簡単には変わらないのと同じかもしれない。

しかし、それでも・・・・。
私はこれからも、自分の表現する作品、文章、なんであれ、
露出するからには、それを受ける人が心を動かすもの、
勇気をもてるもの、元気になれるものを提示してゆく努力を
怠らない人間でありたい。
自問自答を繰り返すとしても、多分、今日石川先生の話を聞くに
私は失敗作の生徒ではないかもしれないから
少しは自信を持って、自分の道を歩いてゆかなければと思った。

帰り、大船駅で電車を待つ間
売店をのぞいた。
大好きだった大船軒の「アジの押し寿司」。

この時間はすでに売れ切ればかり。
また、これを買いに大船に来るときがあるかもしれない。

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by 鯨エマ|2008-02-12 23:11

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