かんじゅく座の方々より、みんなで保険にはいらないかという
提案があった。
先日の公演の稽古場で、そして本番で、
ケガをしてしまった方が数名、安全と安心への橋渡しにとおっしゃる。
なるほど・・・・
35年間生きてきて、まったく関心のなかったことだけに
「どなたか、知っている方、教えてください。」
と無知をさらけ出したら、早速資料を持ってきてくださった。
「この、1人6000円っていうのがちょうどいいのでは・・・?」
「え?6000円!高すぎやしませんか!?」
またまた私の貧乏っぷりをアピールしてしまった。
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Trackback(0) Comments(5) by 鯨エマ|2008-05-23 23:11
前日に突如、オーディションへ行ってこい電話が。
この、突然の電話が何よりも恐ろしく、
しかし、こういう役者の運命をなんとか、潜り抜けてきた人が
(売れているいないにかかわらず)役者でいられる条件なのではないか・・!
と、本気で思っているくらい。
役者のスケジュールはたいてい所属事務所がにぎっているので、
できない日は、まえもってNGを入れておく。
オーディションや仕事はまさに「突然」だ。
よほど大きな仕事でない限り、またはある程度の大物役者でないかぎりは。
バイトをしている役者たちはそのたびにバイト先に頭を下げ、代理を探し、
受かるかどうかわからないオーディションへ勤しむのである。
わたしも、これをなんとか切り抜けるために
盆暮れ正月、つまりみなさんがお休みをとりたい時期に
積極的に働かせていただくのである。
これくらいしか、恩返しができん・・・
今日も、なんとか時間を早めの枠に組み込んでいただき、
こちらも、折込を返上、夕方の仕事を午前に移す、
そして、我が大切な足、チャリンコでどこまでいけるか、
(どこに放置できそうか)まで鑑みて、
いざゆかん、オーディション会場へ!
というわけで、真昼間の広尾へきた。
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by 鯨エマ|2008-05-22 16:04
昨日は、初めて青年座の芝居を観たときの話をした。
舞台自体をはじめて観たのは小学校3~4年生のときだった。
森繁さんの「屋根の上のヴァイオリン弾き」だった。
背の高い幽霊が走り回るシーンがやたら恐ろしく、
これは、いまでも夢に時々出てくる。
では、はじめてみた映画はなんだったっけ・・・・
「キタキツネ物語」だ。
いまネットで調べると1978年の制作と書いてある。
私は5歳。
友人と、そのお母さん、姉、私の4人で
とても大きな映画館に行ったのを覚えている。
客席は超満員で、私たちは、最前列。しかも、3つしか席はとれなかった。
9歳の姉と8歳の友人は、1席ずつ使い、
私は友人のお母さん(Aオバチャマ)のひざに座ることになった。
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by 鯨エマ|2008-05-21 08:08
劇団青年座の芝居「評決」(再演)を観にいく。
いつも海千山千に出演してもらっている名取氏が出演なさっていることもあり
前々から楽しみにしていた。
じつは、この芝居は私が青年座の芝居を観た最初の作品だ。
初演が1990年というから、私は当時17歳だ。
どこの劇団に行こうかと、学校の帰りに
制服に学生カバンで、都内まで出てきて
観劇しまくっていた時期。
あのときの感激が、未だ忘れられない。
しかし、私は芝居を勉強する場として青年座を選ばず
学費の多少安い劇団昴の養成所を選んだ。
もちろん、昴の芝居も好きだったが、やはりお金の問題は大きかった。
そして、3年後・・・・
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by 鯨エマ|2008-05-20 23:11
美術家のWさんと劇場見学&打ち合わせのあと、下北沢へ。
月曜日と火曜日は折込み作業が目白押し。
本チラシはあがっていないけれども、時期が時期だけに
仮チラシをもって、いざ劇場へ。
このチラシ折込作業は、いわゆる若手の仕事。
劇団でいうと20代、新人が「行かされる」ものだ。
1列になって折りこんでいる周りをふと、見回せば
私が最年長になっていた。
もちろんうちは、劇団員が私1人なので、私がやることになる。
となりは、演劇学校の生徒だった。
本当に作業がのろいが、私も昔を思い出し
おもわず、手伝ってしまう。
私も10年前はとても遅くて、よく隣の方が手伝ってくださった。
「すいません」と恐縮する彼女に、
「いいのいいの。」と、こんな私でも
多少は優しい気持ちになったりする瞬間。
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Trackback(0) Comments(2) by 鯨エマ|2008-05-19 23:11
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