地図に付いた桜マークを探しながらふらふら道に迷い、行き着いた城山公園(栃木・茂木)を歩けば、桜が満開である。あいにくの曇り空だったけど、結構人が来ていた。老人ホームか何かのグループが芝生に座って昼ご飯を食べていて、それを若い女性が見守っている。そういうのを見るだけでぼくの体の芯はうずうずしてしまう。ぼくは歩く。変な気分だ。みんなだって同じように歩いているはずなのに、ぼくはぼくしか歩けない。ぼくは歩いているのだろうか?今ここで書いている途中に思ったことを書いただけなので、読んでいる皆さんは写真を楽しんでください。客観の不足だ。桜は唐突にダイレクトに要求する。でもぼくには持ち合わせが無いのだ。だからぼくはこうやって桜を眺めていられる。新しい眼で桜を捉える。でもそれでぼくの心が満たされていると言えるか?それはPerfumeが提示した。そうだ、この行き場の無い渇望、憧憬。遠い昔に無くしたような、それはただの幻想でしかないと認めるような。だが桜は幻想ではない。眼前に存在する。でもぼくにはそれが「ただの」幻想に過ぎないのではないだろうか、と思われる。でもそう思ったところで何がどうなる。ぼくはいったい何を引きずり出したいのだろう。こんな一銭の得にもならないような。詭弁で終ってしまっているのは血のようだ。ぼくは桜に特別の思い入れは無い筈なのだ。春が、あの頃の春が近づいているのだ。それはPerfumeが提示した。それは永遠に手が届かないのだと。だがそれも良い。Perfumeを聴いてありもしないノスタルジーを語る人間はおれくらいしかいない。
↑ニッカの安いウイスキーを飲んで悪酔いしてんのさ。酒で何かを語るほど弱い人間はいないポチッ
by 雨|2008-04-19 02:02
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