千秋楽から早くも1週間が経とうとしています。
大きなテーマだっただけに、この時の流れの早さに、どこか罪悪感に似た思いがあります。
もう少し、踏ん張って、とどまって、考えていたかった………
まあ、毎回そんな風に思うのですが、今回はひとしおです。
このリーディングに参加させていただいたのは、テーマに魅力を感じてのことでした。
私自身が常日頃から 障がい者と関わる仕事、生活を送りながら、
まだまだ知らないこと、わかっていないこと、そして、わかったようなふりをしてしまっていることを
今一度考えて見たい、と思ったのでした。
障がい者を扱った作品は、戦争を扱った作品と同じくらい、取り組むにあたって緊張します。
当事者の知り合いが多いせいでしょうか。
当事者を悲しい思いにさせるような作品にしたくないと思うんですね。
以前、俳優の斎藤洋介さんが、脳性麻痺の役を演じていた時、
私が介助している脳性麻痺の女性が「うまい、うまい」と、大笑いして絶賛していたことがあります。
ちょっとした真似ごとではなく、もうどっぷり研究なさったんでしょう。
私は今回、健常者の役でしたが、笑ってもらえるくらい、突っ込んだ作品になればいいなと、思っていました。
どんな作品でも、これで充分、という稽古はなかなかできないものです。
掘り下げるほどに足りなさを感じるのは、創作者、表現者の性かもしれません。
限られた稽古時間の中で、もう少しできたんじゃないか、
・・・・という未練は少なからずあります。
しかし、とにかくラッキーだったのは、共演者はじめ、関係者の皆さんが、
このテーマに真剣に絡もうとしていたことでした。
これ、当たり前のようで、なかなかこんな状態になるのは稀なんですよね。
いろんなところから集まったプロデュース公演ならなおさらのこと。
それが、全員が、真摯に取り組もうとしていたのは
本に書かれた設定の面白さにくわえ、
主宰者の熱意が伝わったことも大きかったと思います。
そしてもう1つ、偶然にも、昨年の相模原で起きた障がい者殺傷事件から
1年という時期だったこともあったと思います。
あの事件………思い出すだけで鳥肌がたちます。
やまゆり園の再建に向けて、地元相模原市では反対派、賛成派に分かれて、
様々な意見交換がおこなわれているのだそうです。
従来と同じ施設を、と考える関係者・当事者と、
もっと地域に溶け込んだグループホームの建設を訴える人たち。
理想的には後者なのでしょうが 、
地域でくらすことに挑戦し、本当に住み心地よく暮らせるまでの困難を考えると
待った無しの当事者にとっては、少しでも早く、同じ施設を、と考えるのかもしれません。
やまゆり園は 古い歴史を持った施設です。
駅から遠く離れた集落に、障がい者の施設を作ることには、
当初、反対意見も多かったと聞きます。
と同時に、雇用が生まれることへの期待もありました 。
まだまだ、福祉の仕事がどんなものかも知られていなかった時代の話です。
障がい者たち、そしてその家族たちが、
地域清掃をしたり、お祭りを開催したり、
必死の努力を重ねて地域に馴染んでいった歴史は、
私たちが決して忘れてはいけない、人間の尊厳を勝ち取るための歴史です。
私たちの今の幸せ、自由は、それを蔑ろにされていた時代と、
そこで戦った人たちの努力によって勝ち取られたものです。
あたり前にあるものではないんですね。
自分の生活についてだけ考えると、そういう感覚はないかもしれませんが、
日本で歴史の浅い福祉分野を見れば、
差別、偏見から、どれだけの人が苦しみ、戦って、今があるのかがわかります。
さすがに平成も四半世紀の時が経てば、足りない部分はあれど、
様々な立場の人が当たり前に共存する社会になっているような気がしていましたが、
そんな時の、あの事件でした。
「くちづけ」の劇中で、知的障がい者のうーやんが、
自分のことをバカだと言って攻めるシーンがあります。
私は彼の妹の智子という役でした。
血の繋がった家族が、自分をバカだと言って攻めている 、
そして多分、智子自身も、そうやって心の中で兄を攻めたことがあるから、
最終的に 、まるで十字架を背負うように、自分で責任を取ろうとするのです。
演じているときは智子の気持ちでも、
芝居が終わって、客観的になった私は、智子に
「頑張りすぎちゃ、ダメだぞ」と、言いたい気持ちでした。
家族が背負わなければならないような状況は、もう時代遅れなのです。
人は、社会の中で生かし生かされ、成長する。
家族のような小さい単位の社会ではなく
もっと、広く、色々な人の中で生きていくべき、と思います。
老人介護も、育児も、同様です。
負担を家族に押し付けるのは、戦前の家長制度へ逆戻りするくらい、
時代遅れなことだと思うのです。
多様な生き方、多様な家族に形が当たり前になった現代社会では、
近くの他人、いわば隣人との支え合いの中で生かされることが必要なのだと思います。
…………そんなこと、頭ではわかっている人もたくさんいるんですよね。
でも、あの事件で、まだまだそういう意識からは遠い現実が目の当たりになりました。
議論しにくいこと、話しづらいこと、難しい問題を
芝居を通して考えるきっかけにする、それができるのが、演劇です。
日常の一部が舞台の上に切り貼りされる、
それをたくさんの観客が同時に観る、
そういう不思議なイベントが、演劇です。
今回の公演「くちづけ」は、いいタイミングの、いろんな意味で
よいきっかけになった、そんなイベントだったと思います。
さて、もう1つ。。。。。
今回はリーディングでした。
台本から目を離さないという佐藤氏の演出に戸惑いつつも 、
結果的には体が抑制されたぶん、
言葉にエネルギーがのったのかもしれません。
一語、一語、の持つ表情やエネルギーに、気を使い、いい勉強になりました。
でもでもでも~~~~!
本音を言えば、やっぱり
「動きたーい!相手役のこと、見たーい‼︎」
もう体がウズウズしちゃったよー。
この欲求不満が、次の舞台で妙な方向に爆発しないように気をつけねば。
ご観劇くださったみなさま、本当にありがとうございました。
さて、次の稽古場へGO!
Trackback(0) Comments(0) by 鯨エマ|2017-08-08 00:12
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