千秋楽を終えて3日経ちました。
ようやく家の中も少し床が見えてきて、
味噌汁なんて作る余裕が出てきました。
早く次の準備をしたいなあという気持ちと、
残務処理をしっかりやらなければという気持ちのせめぎ合い。
後者が大の苦手なのです・・・。
さて、こんかいの「闇に咲く夢」は、
おおむね、笑って帰るお客様が多かったのですが
私としては、ひとつ、挑戦がりました。
障害者を物語の真ん中に持ってくることで、果たして娯楽作品になるかということです。
障害者が登場すると、どうしても道徳的な展開になりがちなのがいやなのと、
かつて、落語などで視覚書会社が笑いものの対象として描かれたことが
いまは差別とみなされ、封印されてしまっていることなどを考えあわせて
どうにか、笑える対象にできないか、健常者との差を、
笑える方向に絵が目ないかと考えていました。
演じた大久保洋太郎さんは、ご自身の身近に視覚障碍者がいらっしゃったそうですが、
非常にリアルに演じてくださいました。
それをみまもる周囲の役は、ついつい、障害者の存在に慣れてしまいがちでしたが
稽古の間に何どもリセットをかけ、
「障害者を初めて近くに観たときの気持ちを忘れないでほしい」と言い続けていました。
毎回、新鮮な気持ちで演じることは一番大切で、かつ難しいことです。
果たして、矢野という視覚障碍者の役が追い出されるとき
その理由は障害者だということなのではないか・・・・
健常者は、ほんとうに、障害者を差別していないと言い切れるのか・・・
というところに触れるのですが
ここで、何人かのお客さまは、やはり、消化しきれず
複雑な気持ちで帰られたそうです。
(と、あとから手紙やFAXで頂戴しました)
私が13年前にヘルパーの仕事を始めたとき、
そこの事業所では障害当事者が理事を務めており、
しきりに「障害は個性だ」という認識を植え付けようとしていました。
個性、とまで考えるのは難しくても、
せめて「でぶ」「はげ」くらいの事と同等に、
つまり、それによって社会生活が遮られるものであってはならないというのが、
そこの教えで、わたし自身も、「障害は個性」と考えられればすばらしいと、
今も思っています。
しかし、実際は、なかなかそうはいかないのですが・・・
さきほど、封印されてきた落語の話をしましたが
演劇は、落語やコントと違って
「人間について考える作業」が非常に大きいので
社会的に差別を受ける人や、弱者を登場させるときには
様々な方向からの見方が必要になってきます。
ラストシーンで、主人公が、障害者の一言によって救われるのは
ちょっと、できすぎだったかもしれませんが
そこが、同じ人間としてのシンパシィを感じられるところになれば・・・
と、いうのが、わたし自身のひそかな落としどころでした。
お客様は1度しか見ないわけで鵜から、
ほとんどの方は、物語の展開を追うだけで精一杯だと思いますが、
それでも、なにかの「きっかけ」になるような芝居つくりを目指していた私としては
「ひっかかって」くれるのも、うれしいような・・・・
写真、HPにアップしていますが、2枚ここにも載せます。
歌は難しいけれど楽しかった。
たくさんのご来場本当にありがとうございました。
Trackback(0) Comments(4) by 鯨エマ|2013-11-21 08:08
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