いまは、もう流行らない
・・・といういい方が、当たっているかどうかわからないけど、
頻繁に話題になっている「体罰」問題。
軍国主義の名残が根深い日本では
まだまだ根絶できないし、
「なぜ悪い」「それが教育」という空気も少なからず残っています。
私が子供のころは、ビンタ、げんこつ、当たり前でした。
学校でも男の先生は、ムチャクチャ痛い拳骨を
しょっちゅう降らせていました。
家でも連続びんたを何十回と食らったことは
忘れ難い記憶です。
いま、そんなことをしたら大変な事件になると思いますが
当時はまだ当たり前だったような気がします。
子育て中の友人に「体罰」するのかときいたら
「叩いたことはある、でも、叩くときは、
もう理性がきかない自分になっている」
とのことでした。
「体罰」と切っても切れない言葉が「教育」。
じゃあ、どんな教育がいいのでしょうか。
「とにかく、ほめる。
なにかいいことをしたら、すぐにその場で褒めまくる」
というのをテレビでやっていましたが
これを考えるとき、子育て経験ゼロのわたくしが
真っ先に思い浮かべるのが、芝居の稽古場です。
概して、あくまでも概してですよ、
日本の演出家は、ダメなところを叱る、
そして、人より作品をみている、ような気がします。
「ダメだし」、という言葉がそれを象徴しているような気がします。
それに対して欧米の演出家は
なんだか不思議になるくらい褒めまくる、
声をかけまくる、
「パーフェクト」とか「グレイト!」とか
簡単に行ってしまうのです。
慣れない私には「いいですよ、そこまで言わなくても。」くらいに。
さて・・・・
褒められると「好き」という気持ちが倍増するのは確かです。
スポーツも、アートも、そのほかの勉強も、生活も、
乗り越えなければならない壁を
難なく乗り越えるバネになるのは「好き」という気持ちなのではないでしょうか。
しかし、これが逆に、度を超えた怒り、痛みを与えられると、
苦痛ばかりが残ってしまう・・・・
なんでもかんでも、国全体がストイックだったころは
それでもみんな、頑張れたでしょう。
ところが、いま、癒しだ、ゆとりだ、頑張りすぎるな、
と言っている現代には、悲壮感しか漂わないのです。
厳しさと優しさは紙一重で、
うっかり間違えてしまうこともありますが
要は、「好き」という気持ちを育てることではないでしょうか。
そんな世のなかで、つらいのは体罰を受けて育ってしまった人間です。
体罰によって私が学んだことは、なんだったのでしょうか。
それは、物事の善悪ではなく、(それも多少はあると思いますが)
自他ともに、厳しくなることだったような気がします。
どうも、腹が立って仕方がない。
はい、ワタクシです。
子どもが悪いことをしても叱らない親を見ると、
それが友達でもイライラするし、
満員電車の中で子どもを座らせている親を見ると、
「きり~~つ!」なんて号令をかけたくなってしまいます。
最近は、子供ばかりでなく、高齢者との付き合いも多いので
いつまでもわがまま言っている年寄りを見ると
カツを入れたくなります。
怒りからは何も生まれない・・・なんて言われてしまうので
心の中のサンドバックを殴るしかありません。
これでも抑えているのです。
ああ、生きづらい世の中だぜ・・・ったく。
しかし、時には
怒りから、何かが生まれることもあります。
このたび、バイトしている職場の環境をよりよくするために
労働組合を設立するに至りました。
半年以上にわたり、つるんつるんの脳みそ使って
お勉強し、仲間を作って、ついに!!です。
これは、たしかに怒りから生まれたものですが
ここで、難しいのは、
怒りをぶつけてはダメ。ということ。
話し合いの姿勢を忘れず、普段の勤務はニコニコ笑顔で!
できるかねえ、私に。
あ、そうだ。
みなさん、金曜日の夜は
怒りのプラカードを持って、首相官邸前へGo!ですよ。
というわけで、ワタクシ、毎週1回以上はプンプンおこってます。
あ、暴力なんてしてないからね!
~本日のありがとう~
銅鑼の稽古場で、暖かいお味噌汁いただきました。
ああ、あったまる。
ご馳走様でした!
Trackback(0) Comments(3) by 鯨エマ|2013-02-18 23:11
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