かんじゅく座「ねこら!」の稽古も残すところ1か月となり、
再演にもかかわらず、遅々として進まぬ状態に、
半ば焦りつつも、
毎年、毎月、いや、毎週変わってゆく、劇団員の体調をにらみながら
この公演の目指すところを考える日々・・・
白内障も、ぎっくり腰も、、耳鳴りも、
最近はまったく驚かなくなってしまった。
「どんと来い!」とまではいかなけど、
冷静に、現状を見守っている。
さて、そんな稽古場で・・・
登場人物・・・じゃなかった、登場猫の境遇に、
イメージが及ばず、苦労していらっしゃる方が何人もいる。
都会(新宿)の人間模様を、ノラ猫に託した群像劇なので
孤独や劣等感、病、死、別離などもつきまとう。
そういった人生のつらい局面に、心を寄せようにも
「自殺したいとは考えたことがありません」
「いじめ・・・大変そうだけど、いじめられたことがないから・・・」
と、座員たちは、なかなか自分のこととして考えることが難しいようだ。
それだけ、幸せな人生だったのか、
それとも忘れてしまっただけなのか、
根本的に生きてきた時代と価値観が違いすぎるのか?
「自殺したくなる気持ち」を、私が口で説明したところで、
なんだろう、この暖簾に腕押し感。
私なんか、12歳の時から、なんども死にたいと思ってきたというのに。
60代おじさん相手に、人生の闇を語る30代女・・・変な図だわ。
そして、説明するほどに
かえって私のほうがむなしい気持ちに陥ってくる。
同時に、演出家としての言葉の足りなさを痛感する。
ただ、座員も、わかろうという努力はしてくださるので
そこは救われる。
以前、退団したかたで
「この年になってまで、苦しい思いをしたくないんだ」
とおっしゃった方がいた。
それは何となくわかる気もするのだが、
ドラマの中に、葛藤を抱えない人など、出てこないのだ。
みんな心の中に闇を抱えていて、それをどう克服するのか、
あるいは、どうやって抱えながら生きるのかが、
ドラマのほとんどだといってもいいくらい。
ポップスのほとんどが恋愛もののように
芝居の登場人物は、みな、悩んでいる。
そうなると、高齢者劇団って、
なんだか、座員のみんなにすごくつらい作業をさせているようだけど、
表現をする限り、
人間について考えることは、おわらない。
実生活の中の悩み、葛藤も、実はおわらない。
おわらないけど、そのヒダの間に
愛や情けや楽しみが、光っているような気がする。
多面体のように、折り重なるミルフィーユのように、
表現してゆくには、やはり、こちらからの押し付けではなく、
役者の体の中から引き出してこないとだめだなと、
今日、よその芝居を観に行って思った。
稽古に集中したいときほど、
他人の芝居は観に行くもんですね・・・
さそってくれたNさん、ありがとう。
めざせ、ミルフィーユのような人生。
Trackback(0) Comments(4) by 鯨エマ|2012-02-19 00:12
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