ギターのレッスンに行ったものの、
いまお世話になっているサークルは、
グループレッスンなので、合奏に参加していない私は
個人練習が終わってしまうと退屈してしまう。
もちろん、聞いていても勉強になるのだが
まだまだ寝不足の余波が厳しいので、
綺麗な音色に、ついつい、船をこぎそうになる。
いかんせん、それはまずいので
部屋の外で時間をつぶすことに。
同じ建物の1階に、小さな図書館があった。
マンガがいっぱい。
そのなかに、「ドラえんもん」のシリーズを見つけた。
子供の頃の、心の友といえば、ドラえもん。
当時1冊380円だった。
私の小遣いがひとつき200円。
2ヶ月ためないと買えないのだが
私はせっせと靴を磨いたりしてお駄賃を強請り、
街の小さな本屋さんで、購入していた。
好きだったのは6巻。
私は、その小さな図書館の棚から
ドラえもん6巻を取り出してみた。
最終章が「さようなら、ドラえもん」といって、
未来の国に帰ってしまうというお別れのシーンなのだ。
これは、7巻であっというまに「帰ってきたドラえもん」として
ふたたび戻ってくるので、つかの間の悲しみなのだが
今読んでも、涙が出そうな別れなのだ。
困ったことがあるたびに、ドラえもんに頼っていたのび太君、
ドラえもんは、自分が未来の国にいったあとの、のび太が
心配だったのだが、
のび太はのび太で、心配をかけまいと
夜の公園で、ドラえもんの助けなしで、ジャイアント喧嘩をする。
コテンパンにやられたのび太を、ドラえもんは支えて家に帰る。
朝が来たときには、もうドラえもんはいないのだ。
ああ、こうして書いただけで涙が出そう。
子供の頃は、またいまとは多少違った感覚で
この章を読んでいたに違いないけど
何度も何度も繰り返し読んでいたのを思い出す。
他の章もパラパラよんでみると
「すきでたまらニャイ」というのがあり、
これは、ドラえもんが近所の飼い猫に恋をするという設定。
告白できずに、思い悩むドラえもんに、
のび太が、一生懸命手ほどきをするという
異色のパターンだが、
この恋煩いが、なんともかんとも愛らしく、
大人が読んでもキュンとくるような悩ましい表情なのだ。
当時、ゆめのようだった、ドラえもんグッズは
いま、ことごとく、現実のものになり
すでに私たちの生活に取り入れられている。
たとえば、
「インスタント旅行カメラ」は、外国の写真と自分の写真を組み合わせて
いかにも行ったような写真を作る機械だが、
デジタル写真の合成なんか、もう普通のことだ。
夢が、夢じゃなくなったけど、
私たちはこのさき、また、新たな夢に向かうのでしょう・・・・。
というわけで、2時間の待ち時間の間
私はまったく退屈せずに、ギターを弾かずにすごしてしまった。
来週はもう少しちゃんとギターを弾こう、かな。
~本日のありがとう~
共演者のかたが、芝居のチラシを一生懸命まいてくださっています。
ありがたい。
わたしもがんばらにゃあ。
Trackback(0) Comments(6) by 鯨エマ|2011-10-09 00:12
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