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[鯨エマの海千山千] 記事数:1742

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オジイ、オバアは元気!!

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4泊5日という長い休暇を頂き、サイパン島の慰霊祭に参列。
毎年この時期に、
太平洋戦争でなくなった方々を偲ぶとともに
地元の島民(チャモロ人)との交流を深め、
それを子孫に伝えるために
沖縄を中心とした地域の引揚者が、サイパンに集うのである。

これを映画にして2005年に発表したのが「マンゴと黒砂糖」だが
2003年の取材時に、参加者151名だった。
たしか、その前年よりも半減したといって
帰還者会の衰退を悲しんでいたのだが
それが、今年は66名。
さらに半分となった。
しかし、

40代の方が役員にはいり、
いままで口を閉ざしていた方が
体験を語ってくださるようになったのは
あの、悲惨な体験を忘れてはいけない、繰り返してはいけない、という
危機感の表れだろう。

宜野座会長が亡くなって2年、
追悼式は、公式のものではなくなったが
それでも、地元の方も参列してくださる。
島の皆さんのお爺さん、お婆さんが、
ここに集った引揚者の同級生なのだ。

いまの会長である平良善一さんが、追悼の言葉を述べられた。
81歳である。

暑さ35度近い炎天下の中
皆がじっと、彼の言葉に耳を傾け、心を寄せ、
同じ島でも一人一人違う戦争体験に、
再び心を痛めて、平和を祈る。

頭上には、スーサイドクリフ、
少し歩けばバンザイクリフ。
いまだに肉親の遺骨が見つからない人が
たくさんいるのだ。

あまりの暑さに、歩き回れず、
地元の方の用意してくださった椰子の実水で
喉を潤し、順次バスにのって、ホテルに戻った。

さて、慰霊祭が終わると、
夜は地元の方の家にパーティーに。
懐かしいマンゴやパパイヤ、
そしてパンの実の料理、
タロイモの料理がまっている。
食も細く、歯も強くなくなっているのに
みんな、嬉しそうに食べて、サトウキビにかじりつくオバア。
付き添いで来たという年の離れた弟が
「日本じゃ車椅子で押されているのに
サイパン空港についたとたん、すたすた歩きだした。
なんだろね、こりゃ。」と
半ば呆れたように驚いていた。
しまいには、ほら、ダンスまで!!

私も懐かしい方々と写真を撮っていただいた。
8年前にも、同じような顔ぶれで
撮らせていただいた。
あの時は私の左の青いシャツのカブレラさんではなく、
彼のお父さんだった。(昨年なくなったそうだ)
宜野座会長もいたが
いまは、天国で見下ろしていらしゃるだろう・・・

サイパンは、いま、日本からの直行便が少なくなり、
日本人観光客が激減しているという。
もともと日本のホテルも
経営者は中国人、韓国人に代わり
建物は変わらないのに、
少し雰囲気が変わったような気がする。
いま、日本人がいつかないのは
歴史に裏打ちされた、異人種の問題があるのだと
引揚者の女性が話していた。

なにはともあれ、夕日は美しい。
ここが激戦地だったとは
本当に信じられない瞬間。

Trackback(0) Comments(4) by 鯨エマ|2011-06-01 22:10

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