鳩山首相の辞任会見が流れてから
宮崎県の畜産農家を苦しめている口蹄疫が
ニュース番組から姿を消してしまった。
6月7日の段階で
処分された家畜は、合計181,753頭に上っているというのに。
宮崎県の出来事を知っったときに
観ようと思って機会を逃していたドキュメンタリー映画
「いのちのたべかた」を観なければと思い
ビデオを借りてきた。
そこに映っているのは・・・・
すべて、事実でしかない。
食品が、どのようにして私たちの食卓にのぼっているのかという
その、事実だけだ。
予想どうりの映像を改めて観ると
予想以上の衝撃に襲われる。
それは、普段「いのちをいただいている」という感覚を
忘れかけているからだ。
牛や豚や、ニワトリが、その生命をささげてくれているのだということ、
そして、私たちが楽しんで食事をする前には
堵殺に携わるたくさんの人がいるのだということを、
食事のたびに思い出さなくとも
せめて、その食事を残さないことは出来るだろう。
しかし、あまりにも蔑ろにされている生命、
このしっぺ返しが、いつか来ると思っていたが、
もうすでに、いろいろな形で私たちを襲っている。
それでも気がつこうとしない、
何かにつけて、経済の問題に移し変えて
処理しようとするのはなぜだろう。
口蹄疫は、その9割が治癒するという病気だ。
感染力が強力だということはあっても、
殺処分の理由は、経済的な理由からだ。
なぜ、治癒をめざし、それまでの間、
その畜産農家に補助を出すという選択肢がないのか。
虫さえ、感染源になるという病気だから難しいかもしれないが
即、殺処分というのが、やりきれない。
このブログにもなんども書いているが、
居酒屋で残す料理、
料亭で、手もつけられないままに処分される高級食材
(吉兆が、使い回しをしていたときには、天晴れと思った私)、
食べ放題というシステムが生み出す、膨大な無駄、
この全ての犠牲が、生命だ。
人間が、たまたま、その食物連鎖の頂点にいるということを
忘れてはならないのだ。
私は鳥を料理するとき、皮を捨てない。
脂身ものこさない。
カロリーを気にするならば
買いすぎなければ言いだけの話なのだ。
こういう考えが、私の生活の中で
しょっちゅう壁にぶつかる。
ヘルパーとして他人の家に出入りし
他人の生活に介入すると、
食べ物を大切にしている人は、残念ながら、
ほんとうに少ない。
こういう価値観は、成長の過程で身につけるものだから、
平気で残す人には、なにを言ってもきかないのだ。
(ヘルパーはそういうことを言う立場ではないし・・・)
「いのちのたべかた」を、子供たちに見せたい。
私たちが生きていられるのは
たくさんの命の犠牲のおかげなのだと、
そうすれば、自分の命も、他人の命も大切にするようになるのに・・・
~本日のありがとう~
事務所の先輩、Sさん、
お芝居のお知らせありがとうございました。
Trackback(0) Comments(9) by 鯨エマ|2010-06-08 22:10
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