11月に新宿区の某センターで
かんじゅく座の皆さんが朗読発表をできることが決まったので、
その準備をしている。
今回も2作品、朗読にあわせて歌と絵もすすむ、立体朗読だ。
そんな準備と偶然同じ時期に、私は朗読を習いに
ワークショップに参加して、はや2日目。
かたや、教えてもらい、かたや指導しなければならない。
ううん、どちらも勉強だ。
昔はR指定朗読会なんてものをやっていた。
なにがR指定って、別に官能小説を読むわけではないのだが、
大人に役立つ情報提供のコーナーがあって、
いわゆる実用書を朗読していたのである。
ほんとうに、あほらしい企画だった。
あほらしいと思ったのは、ほんとうで、
やはり、朗読するからには、自分で読書するよりも
数倍面白くなければ、やる意味がない。
で、実用書は不向きだと、きずいたのは遅いけど、きずいたのだ。
さてさて、今回選んだ作品のひとつ、
トルーマンカポーティの「あるクリスマス」
11月の朗読会にクリスマスの話は早いんじゃない?
と突込みがはいりそうだが、
8月下旬にもう、ハロウィーンの飾りが売られている日本だから
まあ、いいでしょうが。
この物語は作者の自伝的な物語だが
どうも、この翻訳が、声に出すと具合が悪い。
どうしたら、自然に聞こえるかなあと考えながら台本うちをしていたら、
深夜になってしまった。
時間がかかるのは、脚色しているからだけではない。
クリスマスに関する思いでがあまりに多すぎて
ついつい、物思いにふけってしまうからだ。
ではそんな思い出の1つ・・・・
私の小学校はミッションスクールで
クリスマスはかなり大きなイベントだった。
クリスマスミサの日を目指して、
「みな、神様の子供として良い行いをしましょう」
と、先生の指導の下、それぞれが目標を作る。
そして目標が達成できるとヒイラギの葉を1枚、
壁の色紙に貼っていくのだ。
このヒイラギが、ドンドン増えて、
クリスマスミサのころには壁は満載になる。
目標というのは、いわゆる「善い行い」をするというものだが
そうそう、善い行いはできるものではない。
しかし、先生の目が光っているので
むりやり友達に鉛筆を落としてもらって、
「今日は●●ちゃんの鉛筆を拾ってあげたから、はい、ヒイラギ1枚」
みたいな、もうどうでもいいようなことばかりしていた。
いまでこそ、ヒイラギというと
節分を思い出してしまうが、当時は完全にクリスマスの飾りだった。
なぜ、ヒイラギなのか、そんな説明も聞いたような気がするが、
記憶のかなた・・・・・。
純粋だったなあ、あのころは。
反抗とかしなかったもんね、自分が不思議でたまらないよ。
さあ、初心に戻ってカポーティを読もう。
子どものころの素直な心よ、ああ、蘇れ!
by 鯨エマ|2008-08-29 02:02
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