夜勤明けの朝食は14人みんなで摂る。
朝だけに慌しいとは言え、
一人暮らしの私にとっては楽しいひと時だ。
テレビは必ずついているが、
始めのうちはニュースを見ているものの、
途中から3チャンネルにすることが多い。
他のチャンネルは、ニュース番組で
凶悪犯罪の話題ばかりだ。
多くの人は、こういう番組を見てから1日をスタートさせるのだろう。
私も家にいるときはニュースを見る。
だが、今日もまた、やりきれない事件の話題ばかり。
そんなとき、誰かが「チャンネルを変えよう」と言い出す。
理由は「恐いから」。
ちなみに3チャンネルは、親子で仲の良い言葉遊び。
この「恐いから」を聞いたとき、私は自分がこのような事件について
ただの傍観者で、ほぼ、麻痺してしまっていることに気がついた。
さらに恐ろしいのは、凶悪犯罪のニュースのあとで
競泳の日本新記録のニュースなどが流れると、
30秒前のことをすっかり忘れてしまうのだ。
ここ数週間の気味の悪い殺人事件も、
四川大地震も、自分の記憶の中からどんどん風化してゆく。
いちいちこだわっていたら身が持たない、といえばそれまでの・・・
しかし、こんなことでいいのか・・・。
いま、稽古場では「死」に向かい合っている。
人がひとり、死ぬということがどんなに大変なことなのか、
それに、若い当直医が直面する。
実際に出演者に「死」に遭遇した体験を聞いてみると
意外と葬式体験、お見送り体験をなさった方は少ない。
「死」という理不尽な喪失に対面して
気がつかされることは多い。
なのに、朝のニュースにでてくる犠牲者の話題は
瞬間的な驚きにしかなっていない。
最後に
谷川俊太郎氏の歌「死んだ男の残したものは」のなかの一節。
「死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない
死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまたくる明日
他には何も残っていない
他には何も残っていない」
(ぜひ、全体を読んでいただきたい)
生きていることの素晴らしさを実感したいがために
今日もこれからも、創作活動を続ける。
by 鯨エマ|2008-06-09 23:11
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