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[雨は遠いそらの上] 記事数:109

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栃木飄然?

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町田康先生(先生、と呼ぶからには私は彼の生徒なり門徒なりで無くてはならず、勿論そんなことある筈が無いので彼を先生と呼ぶのはある種の倒錯、或いはただの妄想、若しくはねちっこい憧れに過ぎないわけで、だから彼を先生と呼ぶ私の文章には幾らかのいやらしさと傲慢さがこめられておるわけである。と町田康的な文章を書こうとしてみたがいざ書いてみるとこのやうに全く紛然須く忽ちにして駄目駄目なのであった)の「東京飄然」に感化されて、私も飄然と、旅に出たくなった。行き先は。行き先を問うては飄然とならない。目的もなくただ心のまま足の向くまま気ままなのが飄然だからだ。しかし行き先は「磯上のヤマザクラ」と決まっている。これでは飄然たる旅ではない。でも「磯上のヤマザクラ」を見に行こうと思ったのは飄然と旅に出ようと思った前だから、だから飄然と旅をしたいと思った私の飄然は目的を包括している。だから飄然なのである(やっぱり町田康的文章にずずと引きずられているのだけどそのまま落っこちちゃってるなあ)。

 
 
「磯上のヤマザクラ」は栃木県大田原市(旧黒羽町)の磯上地区、八溝山登山口一の鳥居のところにあるという。今年の桜はこれが見納めか、まだぎりぎり花はついているかしら、と思って、出かけることにした。
朝から曇っていた空もだんだん晴れ、陽射しも車内に入り込んであたたかい。おだやかな山並みのつづく田舎の風景に、Perfumeがまっこと沁みる。
道中、茅葺き屋根の土産屋や茶色い看板のローソンなど見慣れぬ建物と出会い、これぞ飄然というものである。
道中、昔日によく往復した通りなどをふたたびなぞるのもまた飄然。このようにしてまたこの通りを車で走るなどと、いつ想像しただろうか。いや、した気がする。いやでもまさか、こんな間抜け面で行くとは思わなんだ。年月が過ぎるということはかようなものか。年月など、過ぎてみなければわからぬものだ。ひょう。
 
伊王野の道の駅に着いた頃には太陽が高く昇って、車内はむしろ暑いくらいだった。道の駅に行くとどうしても買い求めてしまうソフトクリームを舐めつつ(この道の駅にはそばソフトクリームがあったのでバニラとミックスのをもらった)、売店のおばさんにいただいたガイドマップを眺める。おばさんによるとここから10分ほどで桜に行けるそうだ。
 
教えられた道を行くと、桜への看板があり、指示に従って集落のあいだの細い道を抜けていくと、果たして桜は眼前にあった。しかし一見まるで病気か?と思わんばかりにくすんだ緑に変色している。いや近づいてよく見れば花はすでに散り、葉に変わってしまっていたのだ。
後から来たおばあさん二人組の話では、先週の20日ごろに来たときにはまだつぼんでいたとのことだが、早くも散ってしまったのだった。大変に立派な樹であるので、とても残念だ。(すっかり葉桜に変わってしまっていた。おばあさん達もガッカリ)
 
 
悲しかったので、途中に田んぼの中に咲いていた桜を撮ってやった。田の所有者に断りもせずに撮ってやった。気弱なぼくはすぐあたりをきょろきょろ見てしまう。道中、「あやしい車を見かけたらナンバーを控えよう」とかいう看板が立っていた。いま農道に車を停めてこそこそ写真を撮っている私こそ格好の該当者たらんか。見咎める人がいやしないだろうか。別の田んぼでトラクターを動かしている男が私のようすをじっとうかがっているような気がする。うう。気が弱いから無断で写真を撮るなんざ、私にとっちゃ犯罪に近いことだ。だが田舎の人びとはそんなことで怒り心頭して裁判だ補償だ撮影代だと五月蠅い事なんぞ言わないのだ。いやそりゃ中には偏屈な奴もいるからすべてがオッケーなわけじゃないけどね。
というか、たんに恥ずかしいだけなのだけれど。どうせロクな写真を撮ってるわけでもなし。マナーは悪くないから叱られないと思ふ。多分。
 
やはりロクな写真は撮れんかった。

  
 
飄然と三島神社に立ち寄ってみたりしたのだが、今ひとつ飄然感が足りない。まあ、私の旅なんてそんなものだ。最近、とみに旅情が不足して遺憾と思うのだが、性なのかね。ぱっと行ってぱっと帰ってきちゃうのが気楽で良いのだ。飄然を語るには深みというか、余裕が足りない。
山の上の道から見えた山間の桜。これを下より眺めようと山を下りて野を行く。近づいてみれば大したことは無い。矢張り桜めあてで車でやってきた男性と二言三言交わすも飄然。うーむ、なかなか良くなってきた。

 
ふと、この附近に滝があったんではなかったかということを思い出した。当てずっぽうに道を曲がって行ってみれば、果たして滝はあった。「坪渕の滝」というそれは期待を上回る美しさ。地元の有志が整備したと思しき遊歩道を歩けば、さまざまなアングルから滝を観ることが出来る。思わぬ収穫、再訪したい滝を身近に発見できた喜び。ひょうっ。





 
 
滝の帰り道には狭い斜面に連なる棚田を見つけ思わず停車。よし今度はちゃんと声をかけよう、と作業中のおばあさんに声をかけてから写真を撮らせてもらいました。

  
   
ま、こんなもんか…。今回のテーマを「(町田先生にあやかって)飄然」と設定したのだけど、たいして飄然としないまま旅も文章も終る。はた、と気がつく。ああ俺の人生そのものが飄然としているから、別段感じなかったのだ。ふらふらと俺は。俺はいったい何をしているのだ。という文句をこのゆたりブログの締め文句としようと思っていた。そうだこれだよこの文句の飄然とした空虚な感じ。初心に帰るべし。何か中空で分解した鳥人間みたいな締まりの無さだなあ。ひょう。
 
 
 
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↑とにかく今の教育をどうにかすっぺかしねえとしゃあんめえよと思うのだがあたしみたいな飄々とした奴が何を言っても無駄無駄の駄目駄目このすかしニートが!!と言われるのがオチなのでした。ひょうっ。
  

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Trackback(0) Comments(2) by 雨|2008-05-06 00:12

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