この週末は、母の七回忌を行うために、兄弟家族が集まりました。
晩年、絵手紙を新たな趣味とした母が残した作品の中から、
四季折々にふさわしい1枚を姉が選び出し、お仏壇の傍に飾ってくれています。
母の命日が近づくと登場するのが、この1枚。
生前、70歳を過ぎた母が、とうの昔に亡くなった祖母を思い描いたもの。
その当時は単純に、母の日の題材として描いたんだな、と思いました。
カーネーションに添えた「逢いたいなー、おかあさんに」の一言は、
5月の空にふさわしい、明るいトーンで聞こえてきました。
でも、その母が亡くなってからというもの、絵手紙に添えられた言葉の数々は、
それまでとは違う聞こえ方をするようになりました。
特にこの「逢いたいなー、おかあさんに」の短い一言が、
心の底から絞り出されてくるようなトーンで聞こえてくようになりました。
人は幾つになっても、切実に母を求めることがあるのだということが、
痛いほどわかるようになりました。
七回忌はひとつの節目。
今の気持ちを書き残しておこうと思いパソコンに向かいましたが、
そういえば一周忌の時にも書いたと思い遡ってみたら、
あまりに今の気持ちにぴったりなので、再掲することにしました。
その時のタイトルは『あれから1年』
6年経った今もまったく同じ気持ちだなんて、進歩しない娘です。
『あれから1年』
母が逝ってから一年が経った。
こういうことは時間が癒してくれるというけれど、
一年経った今でも悲しみの大きさがちっとも変わらないことに驚く。
もう会えないんだなぁと思うと、カラダの中身がしゅーんと音をたてて縮こまる。
母親の深い思いに護られて生きてきたんだということを、
今さらながらに感じている。
1冊の本が書けるくらい波瀾万丈の人生を生きた母には
最後の最期の瞬間まで、潔い生き方のお手本を見せてもらった。
母という人は、人生の荒波にもまれなが磨かれてきたのだろう。
終幕の時にその結果が出た。
我が母ながら、実に立派な逝き方だった。
困難の多い母の元で、ワタシたちその子供らも決して平坦な道ではなかった。
末っ子で甘えていたワタシは、子どもの頃は自分の境遇を恨むことに心奪われ、
母の苦労を知りながら目を背けてきた。
母の献身が並大抵のことではなかったということに真に思いが至ったのは、
自らが親になってからという浅はかさである。
そして1年前。
母の最期の時は、ワタシたち子や孫の心に刻まれた。
母からの最後の贈り物だと感じた。
そうか。
息を引き取るその瞬間まで、親とは子に教えを説いていくものなのか。
驚き、そして感謝した。
ところが、授業はまだ終っていなかったようだ。
ここ最近、一年忌を迎える頃になり、さまざまな思い出の中に立つ母の胸中や、
言葉の裏に隠された想いが、
まざまざと分かるような気がしてきたのだ。
大丈夫だよと言って笑った時に、本当はちっとも大丈夫ではなかったこと。
黙々と働く背中に悪態をついたとき振り返らなかったのは、
怒っていたのではなくすまないと思っていたからだということ。
口にすることのなかった疲れ、不安、焦燥。
労を厭わず、すべては子どものための選択をして生きてきた母。
その本当の胸のうちが、少しずつ分かるような気がしてきたのだ。
ワタシのこれまでの経験のすべては必然だったのかもしれない。
母の必死に生きた歳月を無為にしないためには、
思い出すたびに心がつまずく自分の過去も、傷ではなくて薬だと思わなくては。
これからはそういう心持ちでいる人にならなきゃいかんよ、ワタシ。
そう思うようになった。
ありがとう、お母さん。
あなたの教えに導かれて、ワタシは今もあなたに育てられています。
会いたいなぁ、おかあさんに。
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Trackback(0) Comments(4) by Yamepi|2013-06-03 22:10
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