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[どうぶつごろごろ] 記事数:161

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つながってるよ。

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地震がずっと心配です。
これ以上被害が大きくならないことを祈っています。




11日は職場である大学にいました。
ちょうど古い校舎を取り壊す工事が連日進んでおり
その揺れかな?と思いましたが違いました。
違うとわかったとき、工事中の校舎が崩れたり、
古い校舎がつぶれるのではないかと思いました。
職場が船のように大きく揺れて「こわい、こわい、」と言いながら
机の下に潜りました。でもそれが安全なのかもわかりませんでした。
震度5は経験したことがない揺れでした。
余震がしばらく続いて仕事どころではなかったので
ヘルメットを持って一時避難しました。
少し離れた東京ですらパニックになったので、
宮城、その近県の方はもっとこわい思いをされたと思います。



帰宅するよう指示がでたのですが
電車が完全にストップしていて
私は自宅まで歩いて帰ることになりました。
自宅が遠くて帰宅できない人もいました。
私は比較的近い場所ですが、自宅まで約3時間歩きました。
みんなが列になってゾロゾロ歩いていました。
途中歩いた新宿のビルの大画面モニターに映し出された大惨事。
なんだかもう信じられなくて。
電話は一切通じず、群馬の親は大丈夫なのか気になりました。
最寄り駅のシャッターが閉まっているのを初めて見ました。
シャッターがあることすら知りませんでした。
帰宅したら足の踏み場もないくらい家がめちゃくちゃでした。
それを見たときに職場に残ればよかったかもしれないと思いました。
一人でいることが不安だったし、一人暮らしのアパートなんて
簡単に壊れるように感じたからです。
携帯を持つようになって公衆電話の存在なんて忘れていました。
でもあまりにも電話がつながらないから、夜の10時過ぎに
公衆電話を探しに行こうと思いました。
それからしばらくしてようやく電話がつながりました。
その日はテレビをつけたまま、物を端に寄せて床で仮眠しました。



こういう状況のときでも私は意外と眠れるようで。
自宅に帰れず合宿をすることになった同僚たちが
一人の私を心配してメールや電話をくれていたのですが
何度かやりとりしながら最終的に寝てしまったようでした。
後で話した感じだと、実家暮らしの子の方が動揺が激しく、
一人暮らしの子は意外とタフのようでした。
まあそうでないと一人はやっていけないけど。



翌日私はやらなければいけないことがあり、
床に散乱した物を片付け、一人で作業をしていました。
その合間に買い物に出て、気休めかもしれないけど
棚が落ちないようにチェーンを巻き付けて壁に打ち付けたり。
そんなときまた同僚が心配して電話をかけてきてくれて、
私は全然平気だったけど、それがとてもうれしかった。



今日は振替休日でした。
スーパーに行ってもびっくりするくらい食料がないですね。
ラーメンやパンなど、日持ちしそうなものは本当にない!
学校で習ったオイルショックではないけど、トイレットペーパーも
みんな買い占めている感じです。
ドラッグストアで20人くらいのレジ待ちの列に並んでいるとき
また余震がありました。どこにいても不安ですね。
もし一人でいることが難しいくらい不安になったら、
遠慮せず人を頼ろうと思います。
もし今の私を頼る人がいるならば微力ながら支えようとも思います。



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» Tags:地震,

Trackback(0) Comments(3) by マリサ|2011-03-16 19:07

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