クリスマスがおわり、街の中は早くも正月メロディどころか
恵方巻の商戦がはじまっています。
この速さについてゆけないのは、私だけではないと思いますが
今年も本当にあわただしく360日がすぎ、あと5日ほどがまた
バタバタっと過ぎてゆくのを予感しながらこれを書いています。
24日と25日は、いろいろなことがありました。
そのなかで印象的だったのは、24日に教会のミサで聞いた
神父様のお話でした。
24日のミサのなかの聖書朗読では
かならずルカによる福音の主の降誕の箇所がよまれます。
当時、圧倒的な権力を持っていたローマ帝国のアウグストゥス皇帝が
全領土の住民に向けて住民登録を命じたというくだりからはじまるその章は
今年の「マイナンバー制度」を思い起こさせるのですが、
この住民登録こそまさに、税金の取り立てを目的としたものでした。
このアウグストゥスという名前が英語の「August」に由来するのか由来したのか
とにかく1年のうち1か月を自分の名前にしてしまうほどの傲慢な人物でした。
この登録のために移動を余儀なくされた住民たちは「難民」とも言われているそうです。
だから、イエスキリストは「難民」と言われています。
その移動中に、家でも病院でもなく、馬小屋で産まれたわけです。
ここから、神父様の話は、今年世界中で話題になったシリアの難民の話になりました。
今年の秋に催されたカトリックの勉強会で「ドイツはなぜ難民を受け入れたのか」という講座があったときに
ある、ハンガリー出身の男性が自分の少年時代の体験をはなしてくれたのだそうです。
「自分は10歳の時に、他国の軍隊が押し寄せてきて、自分の国を追われることになった。
ボクはこれから難民になるんだ・・・・と、子供心に絶望的な気持ちになっていた。
そのとき、知らない人が小さな箱をくれた。
たぶん、自分のみすぼらしい恰好を見て、なにか恵んでくれたのだろう、そう思って箱を開けると
中にはクリスマスケーキが入っていた。
たぶん、その人は自分が食べるはずのケーキを我慢して、くれたのだろう。
そのケーキを見ながら、『自分は難民になったけど、いいこともあるかもしれない』とおもった。
あれから50年以上たつけれども、私はあの出来事に支えられてここまで生きてきた」
という内容でした。
この話を、涙で声を詰まらせながら話した神父様は、
つづけて、いまの世界情勢の中で、困っている人たちに対し
まだまだ自分たちにできることがあるかもしれない、と言い
さらに、募金、献金をするときは自分の何かを犠牲にして募金するように、
子供たちに教えているといっていました。
この話を、ミサに遅刻して聞くことができなかった夫に話したとき
私も目頭が熱くなってきました。
自分にとって、何度聞いても感動する、心を揺さぶられる話があります。
イエス様を探して一生歩き回っていたアルタバルの話も、その一つです。
くじけそうなときは、思い出してがんばろう、
単純ではありますが、こういうだれかのエピソードが、まただれかの心の肥やしになるのなら
やはり、話すこと、聞くこと、分かち合うことは
「生きる」ことの支えになる大事なことだと思います。
心温まるイブとなりました。
さきほど「夫」とかきましたが・・・・・・
私事ですが、今年の春に結婚しました。
いろいろ事情があって、ブログなどでは隠しておりましたが
24日にこれまた意外な出来事があったので、ここで公表いたします。
かんじゅく座の座員たちが、打ち上げ会場に夫が来た時に
小さな式をしてくれたのが、今年の嬉しかった出来事です。
半年余りが経過した今、まだ平和です。
長続きするように楽しい努力を重ねてゆきたいと思います。
Trackback(0) Comments(0) by 鯨エマ|2015-12-26 16:04
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