木曜日は、なぜか七転八倒の苦しみを味わい、
地下鉄の中でまっすぐ立っていられないほどでした。
ついに、ダウン・・・・して、
車内にしゃがみ込みました。
混んでいるので、人が一人しゃがみ込んでも
特に誰の注意も引きませんが、
まあそれでも近くにいる人くらいは、気が付かないものかしら
・・・と、観てみると周囲は居眠りかスマホ。
そりゃ、気が付きませんね。
特にスマホ組は夢中です。
電車を降りるのも忘れているんじゃやにかというくらい。
さて、私が子供のころ、それはかれこれ35年前のことですが
初めて電車通学をスタートしたときのことですが、
別に治安が良かったわけではなく
かえって今よりも悪い大人がいっぱいいて
痴漢はもちろん、エロ本を堂々と広げるオジサンたち、
手をつかんで連れて行こうとする人、
ランドセルの上に缶ビールを置いたり、肘をつく人、などなど
そりゃ、ひどいものでした。
私は友人たちとすごい声でしゃべりまくり
(厳密にいうと、私は舌足らずで全くしゃべれず、友人たちがしゃべっていましたが)
その場で注意されるのはもちろん、
学校に苦情の電話が相次ぐほどのマナー違反児童でした。
ですから、決して「昔がよかった」というわけではないのですが
決定的に違うのは、他者への関心。
私は仕事柄、他者と関わらなければ何も進まないので
メールを必要最小限にとどめて
あえて、電話や対面でコンタクトを取るようにしていますが
こうして具合が悪くなって、やむ追えずに人と会うことを中断してみたら、
「私は人に疲れていたんじゃないかしら・・・」と思ったのでした。
そう考えると、これだけ情報と人間関係が蔓延する今、
近くの他人に関心を寄せずに、ネット上の繋がりだけで広く浅くすませていくというのは
ある意味、立派な処世術と言えるのですが、
人間のキャパシティというのは昔も今もそうそう変わらないわけで
狭い範囲で深くかかわっているところから、広くなれば自然と浅くなっていく・・・
もちろん、こんなことは今に始まったことじゃない
ネットというものが生活に入ってきたときから懸念していたことです。
しかし、「広く浅く」「メール上で簡単に」済ませてしまえないことがあります。
それは、今まさに、私がかかわっている、すべてのことのような気がします。
演劇、介助職、デモ、団体交渉、
どれも、現地に足を運ばないことには始まらないし、わからない。
いや、本当は、すべてのことがそうなのかもしれないけれど、ね。
そうかぁ、だから疲れるんだ・・・と思いつつ、どこか、喜びを感じる私。
まだまだ、地に足をつけた活動を、
声と言葉で伝える活動を、
空気を感じられる活動を、
目標に沿って、コツコツです。
年末年始は忙しすぎて、ここにきてガタがきましたが、
24時間以上寝て、徐々に挽回。
今日は、いいかげん、原稿を書きますよ。
Trackback(0) Comments(2) by 鯨エマ|2015-01-25 10:10
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