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[鯨エマの海千山千] 記事数:1742

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19回までの道のり

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先日ゲイバーに行った鎌田君は
結局朝の5時まで勉強して帰ったそうです。

さて・・・
あと2日で初日です。
昨年と曲数は同じですが、難しい曲も多く
また、今年は私の歌も結構多いので
ドキドキしています。

演出をしている私が、毎度のことながら、
一番稽古が遅れているのが、
本当に申し訳ないというか、

心苦しいところなのですが、
今日はみんなに稽古に付き合ってもらって、
穴埋め作業をしました。

稽古の写真などをのせたいのですが、ことごとくネタバレになるので、
千秋楽終わってからゆっくり載せるとして
今日は、海千山千の、これまでの歴史(というほど大そうでもありませんが)
について、お話したいと思います。

よかったら、HPの、海千山千のページでもみながら、お読みください。

23歳になったばかり時に、海千山千を結成しました。
当時私は青年座にいて、新人のころにせっかくいただいた役も
満足に演じることができず
なんだか居心地悪く、バイト生活に突入していました。
仕事がないなら、自分でなんとかしなきゃ!と、
ワークショップなどには足しげく通い、
「タップだけはやっておきなさい」という先輩女優の助言をうのみに
高いタップシューズを買って練習に励み
事務所に内緒でオーディションを受けに行ったり
大林宣彦監督に体当たりしてプロフィールを渡したり、
もう、それはそれは、今考えただけでも
恥ずかしくなるようなガムシャラぶりでした。

当時はスタッフのことなど、まったく考えたことはなく、
舞台は完全に役者の物と信じ、
役者だけで作れると、思っていいたころです。
山崎哲さんの戯曲教室に行って
「演出家って何をやってるんでしょうね。」
なんて、平気で質門していたころです。
あ~~、恥ずかしい。

「ああ、芝居がやりたいなあ。
劇団に入ったのに、なんで、芝居ができないんだろう・・・」と、
思っていたとき、養成所の先輩の追悼ライブでしりあった木寺と
「なんかやろう」「芝居やろうよ!」と発展し
2人ユニットによる海千山千がスタートしたのでした。

寛容な木寺のおかげで私は台本を書かせてもらい
第1回目の公演をしました。

劇団ではマネージャーに「そんなことやって、何になるんだ。」
「よけいなことして・・・」と、なんども嫌味を言われましたが
なんと、その旗揚げ公演を劇団の先輩が8人も見に来てくださいました。
そのなかには座長も、いらっしゃいました。
そのあとの飲み場は、お説教になるかと思ったら、
みなさん、関係ない話ばかりして飲んでいました。
後日、劇団の廊下ですれ違った座長が
「エマ、あの本は自分で書いたのか。」といわれ、そうですと答えると
「ふうん、おもしろかった。」と鼻で笑いながら行ってしまいました。
これで、私はその後もずっと、
いまもなお、書き続けていられるのです。
きっと、相方も書きたいと思っていたでしょうが、
私は勝手に、自分が書いたほうがいいような気がして、
またわがまま言って書かせていただいていたのです。

それから、養成所の同期や、憧れていた役者さんなどに
協力してもらいながら、回数を重ねます。
しかし、海千山千公演も6回目になった時・・・・
私は相変わらず劇団では不遇だったのですが
じゃあ、スタジオ公演やってみんべ、ということで、
劇団のアトリエをお借りして公演をしました。
大不評で、先輩には「おまえ、大変なことをしてくれたな。」とまでいわれましたが
あの芝居が、結局、私を「自分の作品は自分で演出」する方向に
駆り立てました。
もともと私は読解力が乏しく、
他人の書いた本など、読み解ける力はないのですが
自分の書いたものなら、何とかなるんじゃないかしら・・・と、これまた甘い考えで。

最初の演出作品は、役者さんたちさぞや、大変だったと思いますが
当時お世話になった方々は、いまも活動している人もいれば
足を洗ってしまった人もいます。
このころ、もう木寺も足を洗い、
海千山千は「海千」だけになっていました。
私は27歳。
青年座をやめて、事務所も移籍し、
舞台に理解のある社長のもとで、
活動を続けることができました。
鴻上さんにも「役者か演出、どっちかにしたら?」といわれながら
私は両方やっているのが心地よく、
やりたい放題でした。
実際、演出をしたら、役者の作業がとたも楽しくなりましたし、
演出家との付き合い方も
少しわかったような気がします。
私の大好きなミュージシャン、森田浩司さんが
音楽を担当してくださっていたことも、
大きな励みでした。

レギュラーなどいただき、仕事が順調だったとき、
9本目の公演で、180万円の赤字を作り
葬儀屋でバイトすることになりました。
かけもちで、喫茶店と飲み屋と、国勢調査と、
アルジャジーラ放送のチェック、配膳・・・と、いろいろやって、なんとか
半年で返済。
あの体力は、もうないですね・・・。

その後、いまの事務所に移籍。
K社長と、役者の作業を増やすことを約束し、
私ははじめて、海千山千の公演で、既成の台本に挑戦しました。
それが「楽屋」と「東京大仏心中」です。
東京大仏では、長年お世話になっている名取さんとの二人芝居ということで
非常に濃密な1か月でした。

でもやっぱり。。。。。

自分で書きたかったのです。
オリジナルがいいのです。
世の中に素晴らしい作品がたくさんあるのはわかるのですが
自分で書きたいなと。

で、何を描こうかと思った時
実は子供のころ、ミュージカルがやりたかったのだ
ということを思い出しました。
人のせいにするわけではありませんが、
新人のころ「歌とダンスをやっています」と言ったら
「それって、使い物になるの?つまり、お金とれるわけ?」と
言われたことが、なんとなく、私を
ミュージカルという夢から遠ざけてしまったのですね・・・

しかし、これはもう、クソ度胸ですよ。
やりたいんだから、いいじゃない!というわけで、
ついに、18回目は音楽劇でした。
同級生との共同作業ということもあり
楽しかったもんだから、
今回の19回目も、音楽劇です。
歌うし、ちょっと踊ります。

思えば、たくさんの方に支えていただいてここまで来ました。
なかでも、いま天国にいる灰谷さん、青年座の森塚座長は、
いまもずっと応援し続けてくれていますし、
先日なくなった今井和子さんも
ずっとずっと、励ましてくれていました。
私の分割による支払いを待ってくれていたスタッフの皆さんにも
頭が上がりません。

毎回反省ばかりですが、
妥協せずに続けること、ベストを尽くすことが、
一番の恩返しかなとおもいます。

19回目の初日まで、稽古はあと1日です。
はりきって、いってまいります!

~本日のありがとう~
作業を手伝ってくれている役者のみなさん、
終電までミシンを動かしてくださった舞台監督さん
ありがとうございます!

http://pr.kizzna.com/ch_entertain/kujira

Trackback(0) Comments(4) by 鯨エマ|2012-11-12 01:01

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