ドナルド・キーンさんが、日本国籍を取得なさったというニュース。
漢字で書くと「鬼怒鳴門」なのだそうで、
ちょっと、名前にはふさわしくない感じだが、
89歳のキーン氏が、自ら決められた名前だけに、
ちょっとユーモアも感じる。
生まれと名前は、自分で決められないものだが、
こうして彼が、自分の愛する日本で、新たな名前をもち、
新しい人生をスタートされるのだ。
彼のエッセイを、私は20歳くらいのときから切り抜き、スクラップにしていた。
日本人よりもよほど日本人らしい、
日本文学にも通じていて、学校で聞く話よりも面白かった。
当時から、おじいさん、という雰囲気たっぷりだったが、
あのころから20年近くたっている今
ようやく・・・国籍取得って並大抵のことではないのだな・・・。
フィリピンの残留日本人孤児の取材をしたとき
もう70代に突入している彼女たちが、
国籍取得に必死になっているのを見て
違和感を感じたことがあった。
人生の思い出の、ほとんどがフィリピンにある。
家族も友人も、みんなフィリピンにある。
人づてに聞いた自分の過去と、かすかな記憶だけで
そこまで一生懸命になれるものだろうかと・・・。
たしかの彼女たちは戦争の被害者で、
理不尽に人生を捻じ曲げられてしまったわけだけど
自分が生きてきた場所よりも、
形の上での故郷を求めるのは、なぜ・・・・?
もちろん、真剣なひともたくさんいるだろう。
でも、裏に、孫たちの願望があることを知ってしまった。
おばあさんが日本国籍を取得すると、その孫たちが、日本で働きやすくなるのだそうだ。
「彼女たちは、孫に頼まれて、日本国籍取得をするのだ・・・・」というのが
どこまで本当かわからないけど、
たしかに、インタビューの答えに、どこか他人事のような、冴えない表情をみた。
日本人にはよくわからない、国籍の問題。
かくいう私もいまだに2重国籍。
選択しなくていいといわれたのをいことに、便利に使い分けようなんて思っていたが
使い分ける以前に、アメリカに対して愛国心も、愛着も、ほこりも使命感もない。
正直、無駄に持っているだけなのだ。
20歳のころ、アメリカにちょこちょこ行っていたこともあって
いずれ便利かも、とおもったが、
その後の生活から、私の中に、アメリカ国籍という選択肢はなくなってしまった。
今は形だけ・・・。
それでも、なお捨てずにいるのは
単に大使館へ行くチャンスがないのと、
「なんとなくもったいない」というだらしない気持ちから。
それは同時に、日本に対する強い愛国心も、ないということなのかもしれない。
人にとって、一番大きな運命は、どこに生まれるかということだろう。
成長の過程で、どれだけ自我が芽生えようと、生まれた土地を離れることは
そうたやすいことではない。
生まれた場所が、信仰を決め、生き方を決め、それが人格を作るような気がする。
そこまで大げさではなくても、
生まれた場所には、いつもなにか、後ろ髪をひかれる思いがある。
生まれに、縛られたくない一方で
捨てられない何かがある。
キーン氏が、89歳にして新たな生きる場所を獲得したことに
清々しさを感じる。
~本日のありがとう~
友人のお見舞いに行く。
頑張るあなたに勇気をもらって帰ってくる。
Trackback(0) Comments(0) by 鯨エマ|2012-03-08 22:10
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