なにかと、責任問題が問われるのは、最近の傾向だろうか。
以前、マスコミの仕事には自転車で行かないほうがいいといわれたことがある。もし、事故で遅刻しても、自転車なら自分の責任、でも、電車なら、鉄道会社の責任にできるから、というのが、その人の言い分だった。
介助先でも
マニュアル通りの移乗を義務付けられたときのこと。
私は腕の力が弱いから、違う方法で持上げたいといったら、なにか事故があったとき、マニュアル以外のやり方でやっていたら、言い訳ができない、誰が責任を取るのか?というわけだ。
何か、事故がおきたとき、その責任を誰かに押し付けて、ほっとしている人がいる。クレーマーという人種がうまれてから、その存在は一般的になってしまった。親の責任、先生の責任、指導者の責任、職員の責任・・・・・どこまでも、押し付ける。その結果、思い切った挑戦ができなくなる責任者を、何人も見た。
今回の福島原発にしてもそうだ。東京電力か、政府か、そこばかりねらって批判している雑誌があるが、現に電気を使っているのなら、まったく責任がないといいきれるだろうか。いや、責任があるか、ないかという次元では、もう事はおさまらない。
高度成長期に生まれたあらゆるものの結果が、いま、思わぬ形で現れている。すべてが、想定外だろう。ならば、いま、関わっている人たちで一丸となって、今後の対応を考えてゆくべきではないだろうか。
~本日のありがとう~
おコメをありがとうございました。
大切にいただきます。
Trackback(0) Comments(6) by 鯨エマ|2011-03-29 20:08
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