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[鯨エマの海千山千] 記事数:1742

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女子高育ちです。

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女子高というところを書く。
かんじゅく座の芝居の設定だ。
私自身が女子高出身なので
実体験も交えつつ書き進むのだが
参考までに映画などもみて取材。

邦画「櫻の園」は、まさに女子高演劇部のお話。
しかし、同世代にもかかわらず、かなりうちとはイメージが違う。
もちろん実際の女子高に取材して作られたのだと思うが、
なんとなく女子高に対する
「こうあってほしい!」という傍目の願望が込められたようなイメージだ。
もっと、品がなかったような気がするが、
自分のことだからそう思うのか・・・?

余談だが・・・・
私の通っていた女子高は大船の山の上にあり
すぐ隣には男子校があった。
この生き返りの山道を、私はよく1人で歩いていた。
ほとんどの人がバスを利用していたが
私はお金を節約しようと思い
バス定期を買わずになるべく歩くようにしていた。
なぜか、子どものころからお金を使わずに済ませようという
貧乏根性ばかりが発達してしまっていた。
本当にわが家は貧乏なのだと思い込んでいた。
幼少時代もおねだりなんぞ、ほとんどしなかった。
あの、家計を心配する気持ちはどこが発端だったのだろう。
卒業するころ姉にきくと、
彼女はわが家を大金持ちだと思っていたらしい。
でも、迷惑をかけてはならないという孝行心から
「あれ、買って」というおねだりはできなかったそうだ。
どこまで子供らしくない姉妹なんだ・・・・。

実際にうちがどんな経済状態だったかは
両親の話がまったく食い違っているので
真実はわからない。
が、とにかく学費はそうとう高かったらしい。
その額に見合う価値があったのかわからないが
当時は公立高校にあこがれていた。
「女子高です」といって
「お嬢さん」と返されるのが嫌だった。
いまでこそ、「そうです、これでもお嬢様なんです」とネタにできるが
あのころは「世間知らず」の代名詞のようで
学校の名前を言うことすら嫌だった。

おととい、同級生から大船で飲もうというメールが届く。
彼女にしても、年末に会った演劇部のメンバーにしても、
なんだかみんな、しっかりしている。
女子高でぬくぬく育てられたという気質ではない。
しかし、みんなが一様に
在学中、あまりにも温室だったので、卒業後に随分苦労したという。
転びまくってここまで来ました!というすがすがしさともいえる強さ。
そんな彼女たちにシンパシィを感じる。
バツイチの友人は
「一番苦しかったとき、聖書を読み返した」というから
それには思わず笑ってしまったけど
私自身そろそろ宗教を勉強しなおそうと思っているので
気持ちがわからないでもない。
否、よくわかるよ!

かんじゅく座の芝居「さくら」の中では1958年の女子高を描く。
いまから50年前にフィードバックするわけだ。
女子高育ちの方に是非、見ていただきたい・・・・。

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by 鯨エマ|2008-01-12 09:09

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