昨日、映画『ブッダ~赤い砂漠よ!美しく~』を観にいってきました。
手塚治虫のコミックを映画化したものです。
舞台は、2500年前のインド。王となるべくして生まれたシッダールタが、その人生・世の中のカースト制・人間同士の争いに疑問を抱き、自身の成すべき道を模索していくという内容です。
ストーリーの中では、こう語られていました。
『生きることは苦しみに満ちている。それは「生・病・老・死」という4つの苦しみだ。私たちは誰もが生を受けた瞬間から老い始め、病にもかかるし、死に向かって生きている。その苦しみとは、思い通りにならないことを、思うがままにしようとするところから生まれるのだ。』と。
見渡してみると、周囲には思い通りにならないことが沢山あります。多くののヒトが、モノが、コトが・・・重なり合い、複雑にからみ合って動いている世の中ですから、どうにもならないこともあるでしょう。
では「思い通りにならないこと」は、誰の「思い通りにならないこと」なのでしょうか。
それはまぎれもない「自分」です。
自分で「思い」を決め、その通りにならないことで不満の気持ちを感じているのです。仏教ではそのことを「苦」というそうです。
私にも思い当たることがあります。
数年前、まだこの仕事をする前に、インテリアコーディネーターとして働いていた頃のことです。
毎日夢中で働き、こう思っていました。
・今行っている仕事の質を、もっと上げていきたい。
・もっといいデザインをしていかなければ。もっと斬新なものを。
・100%の仕事ではなくて、120、いや150%の力を出すべきだ。
・自分の力はまだまだこんなではない。
・仕事の人間関係も。全ての人とうまくやっていくべきだ。
・いつも笑顔でいなければ・・・。
そんな風に、自分をいつも「べき=理想像」で固めていました。
それを乗り越えてこそプロの仕事人だと思っていたし、そうでなければ頑張りが足りないのだと、毎晩反省して自分を律していました。
力のおよばないところまで心配をし、150%の力を出してもまだ足らずに背伸びをしようとしていた毎日は、苦しかったし窮屈だったのでしょう。
知らず知らずのうちに、神経は疲弊していたようです。
ある日ふと気がつきました。「心」が壊れている・・・と。
今まできれいだと思えた朝の光も、自然のきらめきも、喜びも・・・何も感じられなくなっていました。笑うことさえできないのに、なぜか涙ばかりがあふれてくる・・・自分で自分の心をコントロールできない状態になっていました。私たちの心身は深いつながりがありますので、身体も思うように動かなくなり、ベッドから出られなくなりました。
仕事はもちろん、日常生活さえままならない日々が続きました。
・・・。
それから数年、心身ともに完全に回復するまでには時間がかかりました。
周囲の人の愛情と、病院での治療と、ヨガと・・・
いろいろなものに助けられて、今ではすっかり元気になることができました。
あれから変わったことは、「思うがまま」にならなくても「あるがまま」を受け入れられるようになったことです。
仕事を辞めたおかげでヨガをする時間が増え、毎日のプラクティスで心身と丁寧に向き合っているうちに、頭が決めた理想像ではなく、心が本当に求めていることが少しずつわかるようになってきました。
背伸びをしてプロの仕事人になることではなくて、ここで毎日をゆったりと丁寧に過ごせていることがどんなにかしあわせだということに気がつきました。
ヨガも。日々の生活も。人間関係も。
今は届かないところまで無理をしようとは思いません。
自分らしく、あるがままでやれたら、それで十分。
今日もがんばってくれた私に「ありがとう」
関わってくれた全ての人に「ありがとう」
この環境に、生かさせてもらっていることに「ありがとう」
今、あのときよりも安心して生きています。
そしてあのときよりも、人生がきらきらしています。
思うがままでなくても、大丈夫。
視点や考え方を変えてみると、人生は結構いい感じかもしれません^^
Trackback(0) Comments(2) by yogini*kumi|2011-06-09 18:06
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