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自然と仲良く、生きていくこと

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窓を開けて、ヨガの寝ポーズをしていたら、緑が自分と同じ高さに見えた。
自然がとっても近くて、一緒に生きている感覚。 


  
 
そういえば、子供の頃は背が低くて、もっと地面に近いところで生活していた。
草花のちょっとした変化に気がついたし、自然はお友達だと思っていた。
緑の匂いは、当たり前のように側にあった。
少しくらいの雨だったら、雨粒とお友達になって遊んでいた。
 
 
大人になって背が伸びて、地面から少し遠くなっただけで、私たちはこんなにも自然の気持ちがわからなくなってしまうものなのだろうか。
時間の流れも変わった。自然からあまりにも遠いところに流れている、時間の早さ。
「人間」のスピードで日々を過ごし、「自然のキモチ」が、見えにくくなっている生活。
  
  
これが、大人になるということなのか。
これが、都会ということなのか。
これが、便利ということなのか。
 
 
昨日の新聞に、こんな記事が載っていた。
「なぜコンビニが24時間開いていなければいけないのか。
なぜビニールハウスに暖房をかけてまで、お正月に苺を食べなければいけないのか。」

 
その通りだと思う。
一時の便利や贅沢のために、どれほどの犠牲やエネルギーを使うのだろうか。
今回の地震で知った、自然の大きさ(色々な意味で)や、資源の大切さ。
普通の慎ましやかな生活を、末永く続けられることがどんなにかしあわせで尊いことか。
 
 
こんな一節も載っていた。
「年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず」
初唐の詩人・劉廷芝の詩の一部だそう。
花は時期がくれば毎年同じように美しく咲くけれど、
一方で人の境遇は変わっていく。
 
 
人は生きていれば大人になっていくし、境遇も変わる。
でも子供の時に持っていた「自然と仲良く生きる」という感覚。
それを心の中に、持ち続けていられたらいいのに。
そうしたら、もう少し自然にやさしく生きられるような気がする。
 
 
海のキモチを考えたら、放射能で汚れた水を流すなんてことを、しただろうか。
自然のキモチを考えたら、負担や危険の大きい原子力ではなくて、もう少し他の方法を考えられないだろうか。
 
 
今回の地震は、言葉をしゃべることができない自然からの
「そろそろ気がついて欲しいよ~」
という、メッセージだったのかもしれないと、
そんな風に思ったりもする。
 
 
だから、私たち「人」が変わらないといけないのだと思う。
変えていかなければいけないのだと思う。
一人ひとりが、気がついていかなければいけないのだと思う。 
 
 

Trackback(0) Comments(1) by yogini*kumi|2011-04-27 10:10

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