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[ほんのきもちです] 記事数:479

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あれから一年

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母が逝ってから一年が経った。
こういうことは時間が癒してくれるというけれど、
一年経った今でも悲しみの大きさがちっとも変わらないことに驚く。
もう会えないんだなぁと思うと、カラダの中身がしゅーんと音をたてて縮こまる。
母親の深い思いに護られて生きてきたんだということを、
今さらながらに感じている。

1冊の本が書けるくらい波瀾万丈の人生を生きた母には
最後の最期の瞬間まで、潔い生き方のお手本を見せてもらった。
人生の荒波にもまれながら母という人は磨かれてきたのだろう、
終幕の時にその結果が出た。我が母ながら、実に立派な逝き方だった。

困難の多い母の元で、ワタシたちその子供らも決して平坦な道ではなかった。
末っ子で甘えていたワタシは、子どもの頃は自分の境遇を恨むことに心奪われ、母の苦労を知りながらも目を背けてきた。母の献身が並大抵のことではなかったということに真に思いが至ったのは、自らが親になってからという浅はかさである。
そして1年前。
母の最期の言動が子や孫の心に残った。母からの最後の贈り物だと感じた。
そうか。息を引き取るその瞬間まで、親とは子に教えを説いていくものなのか。
驚き、そして感謝した。

ところが、授業はまだ終っていなかったようだ。
ここ最近、一年忌を迎える頃になり、さまざまな思い出の中に立つ母の胸中が、、
言葉の裏に隠された想いが、、まざまざと分かるような気がしてきたのだ。
大丈夫だよと言って笑った時に、本当はちっとも大丈夫ではなかったこと。
黙々と働く背中に悪態をついたとき振り返らなかったのは、怒っていたのではなくすまないと思っていたからだということ。
いちいち口にしなかった疲れ、不安、焦燥。
労を厭わず、すべては子どものための選択をして生きてきた母。
その本当の胸のうちが、少しずつ分かるような気がしてきたのだ。

ワタシのこれまでの経験のすべては必然だったのかもしれない。
母の必死に生きた歳月を無為にしないためには、思い出すたびに心がつまずく自分の過去も、傷ではなくて薬だと思わなくては。
これからはそういう心持ちでいる人にならなきゃいかんよ、ワタシ。
そう思うようになった。

ありがとう、お母さん。
あなたの教えに導かれてワタシはまだ、今も育てられているのかもしれません。

会いたいなぁ。

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Trackback(0) Comments(7) by Yamepi|2008-06-05 11:11

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