ヨガにもいろいろな種類があって
日本でよく行われている、身体を動かすヨガはほぼ『ハタ・ヨーガ』といってもいいと思います。他にも
『ラージャ・ヨーガ』瞑想のヨガ
『バクティ・ヨーガ』信仰のヨガ
『カルマ・ヨーガ』行為のヨガ
などがあります。
このなかでも『カルマ・ヨーガ』には
“無私の奉仕”であったり“あらゆる行為を見返りを期待せず行う”
という意味があります。
一番私たちの生活に密着しているといえます。
誰もが、自分の生活のなかで実践できるからです。
私の大好きな本に『肉屋のヨーギー』という話が載っています。
その本は今手元にないので、話の詳細は覚えていないのですが
こんな話だったと思います。
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インドでヨーガの修行をしている行者が、ある縁で「悟りを得たいなら肉屋を訪ねるように」と促され
「動物を屠殺するような職業のものに、何がわかるのか?!」
と思いながらも、その肉屋を訪ねました。
肉屋の主人は、一銭もまけずに商売をし、情もなにもない様子。
ますます不信に思う行者でしたが、主人が仕事を終えるとその後をついていきました。
主人は家に入って老いた両親の世話をし、そして行者のもとに戻って
「さて、私はあなたのために何をお話できますか?」
と言います。
「どうしてそんな不浄な仕事をしているのですか?」
と問う行者に、
「この世に醜い仕事も不浄な仕事もありません。肉は誰かが売らないと世の中は成り立たない。私は毎日ただ与えられた仕事を無心に行い、老いた両親にしあわせになってもらおうと世話をしています。
私はあなたのようにヨーガの修行もしたことがないし、偉いものではありません。ただ執着心をもたずに自分の義務を果たしているだけですよ。」
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というようなお話でした。
以前このお話を読み、深く感銘を受けたことを覚えています。
どんな仕事をしているかが問題なのではない。
与えていただいた仕事を、自分の利益のためではなく、無心に全うできること。
見返りを求めて行うのではなく、その行為のために動くこと。
ヨガのインストラクターをさせていただいている私であれば
生徒さんの反応や見返りを期待するのではなく
自分がどう思われるかを気にするのではなく
今ここにいる生徒さんを、今できる限りの自分の知識と経験の中で、最大限の効果へと導いていくこと。
そのために無私の気持ちで動くこと。
そうすれば、おのずとやるべきヨガの方向性が見えてくるのではと思うのです。
なぜ今日この話を思い出したかと言うと…。
近所に手作りハム・ソーセージ工房があります。私はほとんどお肉を食べないのですが、お肉好きな夫のために、お給料日後にはちょっと奮発して、そのお店で夫の好きそうなものを選びます。
そこに「ベスト店員賞!」(←があるのかどうかわからないけれど…^^;)をもらえそうなくらいステキな店員さんがいるのです。
今日もその店員さんは、とてもさわやかな笑顔で、美味しい食べ方や商品の特徴などをていねいに説明してくださいました。
つかず離れずの対応で、最後には帰り道を気遣う言葉をかけてくださって、なんとも後味のよい接客なのでした。
同じ売り子さんでも、「アルバイトで惰性でやっているのね~」なんて思うケースもあれば、「誇りをもってその仕事をしているんだな。」と、誠実さをひしひしと感じるケースもあります。
この店員さんは、もちろん後者のケースです。
ここに行く度に、先述したインドの『肉屋のヨーギー』のお話を思い出すのでした。
まさにこの話の日本版!?
「私=ヨーガの修行者」で、この「店員のおねえさん=肉屋の主人」
う~ん、そっくり。。。
いつもわが身を振り返るきっかけをいただいています。
最近の私は、見返りや結果を期待せずに、ヨガのためのヨガができているかな?
今ここのレッスンのためのヨガができているかな?
今ここにいる生徒さんのためのヨガができているかな?
おねえさん、ありがとう。
明日からも『カルマ・ヨーガ』ガンバリマス^^
Trackback(0) Comments(0) by yogini*kumi|2013-03-29 19:07
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